パンダちゃん♪


”不思議な位おいしく出来る”という アラビヤン焼きそば、どんだけ美味しく出来るのか?と買ってみた。

アラビアン焼きそば


カップの焼きそばと違って、インスタントと言えどもこういう袋麵のインスタント焼きそばは普通の焼きそばとたいして手間が変わらない気がする。小麦粉ONLYって感じで実に身体に危険な感じはしますけれどねぇ。で、数分で出来上がったのがこれよ~。焼きそばは具無しが好きなのよ~。

アラビアン焼きそば


袋には、このようにどんな味なんだろう!!って興味津々になってしまう文言。さて、どんなものかと期待値MAXでいただきま~す。

アラビアン焼きそば

普通だろ! ちょっと酸味がある気がするが普通の焼きそばやんかーーーーーい! 家族にも味見させてみたが 普通だね、と白けた感じだった。粉末酢って原料に書いてあるよ~とも言われたが私はもうそんなんど~でもよくなっていたので確認しとらん(笑)

あっ、でも災害用の備蓄にするにはありかも。そう考えるとめっちゃ美味しいかも☆彡




和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドで去年11月に生まれた赤ちゃんパンダ楓浜に新しい遊具をプレゼント、な~んてニュースが流れていましたが、パンダちゃんはクマ科なんですよねぇ。まぁ熊と言えばロシアでは可愛いペットのようですがね。

目が黒く大きなタレ目のように見え、座っている姿とかもなんとも愛らしいからでしょう、パンダさんはいつも人気者ですね。

ただよ~く見ていると、優しく愛くるしいタレ目にみえるなかに潜む本当の眼は、愛らしい動きや外見とは裏腹にブチ切れている時も結構あるんですよねぇ。可愛い!ってキャーキャー騒ぐ人混みの後ろを通る時、皆パンダに騙されてらぁ、っとニヒルに笑う私なのだった。奴は決して笹や竹だけを食べるわけじゃぁないですしね。クククク

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木彫りキーホルダー


この勝手神社、金峯山の入り口にあるので山口神社ともいわれているそうな。鳥居をくぐると単なる空き地が広がっていた。焼失し再建されたものの また焼失と繰り返しているもようで最後の火事は2001年だったみたい。こんな山の上では火事になって消防車が来るのにも時間がかかり過ぎるだろうし全焼して当然だとも思う。

金峯山

672年に大友皇子に対抗し吉野に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)がこの神前で琴を奏でていたら天女が袖を翻して舞いながら後ろの山から現れたとか言われている。それが縁で、芸の神様とされ嘗ては猿楽や能が盛んに奉納されたそうだ。

時は下って1158年、源義経と別れた静御前は義経がつけてくれた従者に金銀を奪われ山中をさまよっていたら追手に捕まった。あからさまには語られていないが、義経に見初められるほどの女性が金銀を奪われただけで済んだのかなぁ?こんな吉野の山奥まで連れてきちゃってこうなることも予想できなかったのかなぁ?って、言っちゃあ悪いがやはりそのあたりがなんていうかやっぱり義経なんだよなぁ。追手に捕縛された静御前は奥深い山中で一人さまようより追手に捕まってホッとしたような気もする。荒ぶる武将たちに請われ、勝手神社で舞を舞ったそうな。義経関連の話はどこかいつも痛々しい。



役小角の小さな木彫りのキーホルダーが欲しかったのだがそんなのどこにも売っていなかった。桜をモチーフにした可愛かったり素敵だったりするキーホルダーやらは選り取り見取りあったのだが役行者はあまり人気がないみたいだ。唯一見つけたのが8万円ほどする卓上に置く比較的大きい木彫りの役行者像。こうなったら自分で木彫りをするしかなさそうだった。役行者は怖い顔をしているとの事で像マニアにもあまり人気がないそうだ。私には大人気なのだがのぅ。。。

で、吉野と言えば桜って事で、桜ソフトクリームの御店がそこかしこにあったが、桜餅ソフトクリームは売ってませんよ、ここくらい。これは自家製との事で300円で買った。う~ん、ピンク色で可愛いのだが気持ち普通のソフトクリームよりもっちりしている気もするがよ~わからん。味はほのかに桜の香りがするような。

金峯山


陀羅尼助だけを扱っている重厚な店構えの専門店藤井利三郎薬房が配っていたパンフレットの中に試供薬がついていた。ラッキー♪ 今から約1300年前に役小角がここ大峯山で自生するキハダの樹皮を煮込んだエキスが胃腸病はじめ内臓、外傷にも薬効があるのを発見し名薬となって健胃整腸薬として賑わっている。役行者は、7世紀末に疫病が流行した時、大和国葛城で大釜にてキハダを煎じ病に苦しむ多くの人を救済したと伝えられている。

山伏・修験者と言えば西洋の魔女みたいな感じで、山野に自生する薬草などを煎じ 薬の調合などに長けていたのもあったでしょうし、更に不思議な力を持つ役小角は手をかざしたり祈祷をしたり等々でも多くの人々の病や痛みをとり払っている。まるでキリストのおこしたという奇跡みたいだなぁ。

藤井利三郎薬房では、役行者の製法秘法を拝承した自家製の陀羅尼助を販売していて化学薬品、防腐剤も一切使っていず自然の生薬のみで作られているので安心して飲むことが出来ますね。

金峯山


この一帯には蛙の置物などもそこかしこの御店で売られている。そもそも金峯山蔵王堂では 蛙飛び行事 なんてのもあるんですねぇ。嘗て、蔵王権現の悪口や山伏をバカにした人が大鷲にさらわれ断崖絶壁に置き去りにされてしまい反省して神仏に懺悔したところ山伏の法力で蛙の姿になり救い出され、蔵王権現堂で高僧による読経功徳により人間の姿に戻ることが出来た、という伝説があるらしい。”すべて国産”の文字がなんか面白い、けど大事なポイントですよね。

金峯山

こういうバカにしたら酷い目にあうかんな! 的な脅しともとれる蛙伝説などははっきり言ってはぁ???って失笑してしまうのだが、また、役行者やその関係者の詳細を突き合せたりするとどう考えてもその役小角不思議伝説は辻褄があわないよね?っていう明らかに後世の人による作り話で修験道の権威付けに利用してんなって思える個所もある。役小角ご本人はなんらあずかり知らぬところで後世の人に利用されているだけで失笑しているような気もしている。やべぇ~蛙になっちゃったらどーしよーーーーー!!

しかし、欲しくてたまらなかった役小角の小さな木彫りキーホルダーはどこにも売っていず非常に残念だった。結局、本当に欲しい物って自分で作らないと無いものなんですよね~。


あと気になったのが、桜ラムネはそこかしこで売られていたが、桜コーラはこれまた一店舗でしか売られていなかった。それがこれ。

金峯山


う~ん、なんとな~く桜の香りがしたような。裏を見たら製造場所が静岡県だったので急に白けた。ドヤ顔で撮ったこの↑上の写真、なかなか素敵に撮れたと思うのだがショボい写真で十分だったような気にもなった。

金峯山

あっ、そうそう、一攫千金を狙う方は乾坤通宝を探すといいかも。後醍醐天皇が1334年に造った新貨幣である乾坤通宝は鋳造されていたことは確認されているものの一枚も見つかっておらん。乾坤通宝一枚でなんと時価1億円になるそう。この吉水院に後醍醐天皇が運び込まれたとも言われているので要チェックですな。私も最低でも10枚くらいは見つけて手にしたいものですわ。

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吉水院


明治新政府の神仏分離令、廃仏毀釈によって吉水神社と名称が変わったが、寺院の矜持 という感じでここに残された”吉水院”という石碑が好き。力で強引に抑えつけても結局無理があるんですよねぇ。

金峯山 吉水神社


金峯山 吉水神社


吉野山の桜は山桜で、奥千本、上千本、中千本、下千本と群生地が続く。ここ吉水神社は中千本に位置する。今を4月上旬ていうのか中旬というのかは知らんがとにかくこんな感じ。桜の季節には混むから来たくないのだが秘仏開帳のためなので仕方がない。案の定凄い人出で、ここは上千本の桜まで一望できると人気のスポット。この看板を背景に自撮りしまくっている中年女性軍団がずっ~と占領してていてめっちゃ邪魔だったー。

金峯山 吉水神社


弁慶の力釘が。源頼朝に追われ逃げた義経は弁慶や佐藤忠信ら数人と、懐妊していたという静御前を連れ1158年、ここ吉水院に隠れたが、追手がやってきたのを知った武蔵坊弁慶は、そばにあった釘を二本抜き取り、石にその釘を親指で打ち込み、それを見た追手達は恐れをなして逃げ帰ったというその現場。

金峯山 吉水神社


わかりやすいように弁慶が親指で押し込んだという釘に印をつけておきましたよ~。冷静に見ると何かのご利益を期待しているのか硬貨が投げ込まれているところがウケます。アハハハハ 石に釘が打てるなんて初めて知った気がする。

金峯山 吉水神社


世界遺産にもなっている吉水神社の書院に拝観料600円払って入ってみました。役小角に心がメロメロにとろけているのですがこの書院に役小角の木像があり写真を撮れるようなのですよ~。ここは義経一行が隠れたお部屋でもあり、静御前の着物とかが残されている。ここ吉水院は義経と静御前が最後に過ごした別れの場所。

金峯山 吉水神社


そして、ここで弁慶が思案したんですねぇ。お金を取られるこの書院に入ってくる人は0,1割にも満たないようでガラガラ。

金峯山 吉水神社


40歳で子どもがいなかった楠木正玄は信貴山に登り、毘沙門天(役小角が作り安置したもの)に祈ったところ正成を授かった。足利尊氏勢と戦闘になったら新田義貞は必ず負けてしまうからと後醍醐天皇の隠し場所を探していた楠木正成は、吉野山に登り役行者を思い祈った。”百万の大軍が攻めてこようと登るのは難しい”と険しい山頂の平地を皇居に相応しいと教えてもらったという。楠木正成は戦死してしまったが、1336年、後醍醐天皇は吉水院の宗信法印の力添えもあり、ここに逃げ込み吉水院を南朝の皇居とし、56年間続く南北朝時代の幕開けとなった。

ここが豊臣秀吉が修理したという後醍醐天皇の玉座。百人一首の絵札にこういうところに座っている人の絵がでてくるな~。

金峯山 吉水神社


こじんまりした平屋建てなのですが、山深く木々に囲まれ眺めはよく落ち着いた良い所。後醍醐天皇の御物や楠木正成公の所持品、空海や最澄の作品や狩野永徳や狩野山雪の作品、一休和尚の墨書などなど南北朝時代、安土桃山などの宝物が展示されている。それは分かるのだが、不思議なのが弁慶の槍。未だ未だ追っ手をまきながらの逃亡は続くはずなのにここに置いていった??

金峯山 吉水神社


更に謎いのが、やはりこのような身体を守るグッズも展示されている。

金峯山 吉水神社


もっと衝撃なのが、義経のこんなんまで。ぼろくなったから捨てていったんか??? 頭はずっと?のままだった。

金峯山 吉水神社


634年に現在の奈良県御所市茅原で生まれた役小角は、舒明、天智、天武、持統、文武天皇の時代に大和葛城を中心に呪術者として名をはせた人物で、7世紀の飛鳥時代に確かに実在した人物なのだが、彼自身、書物も残していないし教団も率いていないし名誉欲も栄華も欲しがらなかったし、様々な日本の古記にも役小角を記したものはあるもののその生涯は実際のところ謎に包まれている。

役小角の母親は大和の高加茂の白宣女とはっきりしているが、3歳で父親と死に別れているがそもそも役小角の父親には諸説あり、役小角は舒明天皇の子だったとか、出雲国の雅楽を行う加茂氏出身の大角が役小角の父親とか、天から黄金色の独鈷が雲に乗って降りてきて母親の口に入り妊娠したとか、

ここ”布留の高橋”に出てくる平群鮪とは平群真鳥の子だが、平群鮪と契りを結んでいた影姫を武烈天皇が見初め平群親子を殺害したのだが、役小角は武烈天皇に殺された平群真鳥の子孫であるという記述もある。

金峯山 吉水神社

出産時には五色の雲が産室を覆い、一枝の花を握り生まれてき、言葉を話すこともできたという。比べる者がないほどの博学で4歳からは常に泥土で仏像を 草茎で堂を造り花・水を献じ、身を地に投げ出して礼拝していたとか、7歳の時に自ら梵字を書き、言葉を発することがなくなり葛城山に登り法喜菩薩の姿を拝んでいたとか、人間の患みを除きたいとの志を13歳でもち、教えられるでもなく不動の真言を諳んじ、孔雀明王経を読み習い、毎晩葛城山にこもり夜明けに帰宅した。17歳で藤の皮の衣を着、松の葉を食し葛城山で修行し、19歳で金峯山で修行をし30歳で孔雀の呪法を修め非凡な験術を得、空や海を自由自在に飛べたという。

更に不思議な話は続くのだが、15世紀に修験道が教団として形を整えていく中で役小角が修験道開祖としてまつりあげられたが、役小角については正直よ~わかっていないのが実態なんですよねぇ。しかし、いずれにしろ常人ではない事は確かだ。役小角の出生は賀茂の役君であり、賀茂氏は神武東征の際に神武を吉野から宇陀へ先導した八咫烏を祖としているようだし、この氏族から賀茂大社の賀茂(鴨)氏や、安倍晴明を弟子として育てた陰陽道宗家賀茂氏が出ているので不思議な能力を持つ血筋なのかもしれない。

役小角に付き従った夫婦の鬼、前鬼・後鬼も可愛い。


ここ金峯山寺の僧房であった吉水院は1594年、太閤秀吉が催した吉野の花見本陣の地だ。関白秀次をはじめ徳川家康、伊達政宗、宇喜多秀家、前田利家らの戦国大名や公家、茶人、連歌師など総勢5千人を引き連れた盛大なものだった。秀吉は甥の関白秀次らと共に能を演じたり、内陣2本の金箔張り化粧柱や須弥檀を寄進したりしている。

この吉野での観桜会の翌年1595年、秀吉に切腹を命じられた豊臣秀次は高野山で没することとなる。ちなみに千利休は1591年に秀吉の命で切腹して果てているし賢弟豊臣秀長も同じ年にお亡くなりになられているので二人とも吉野の観桜会に姿はなかった。

金峯山 吉水神社

吉野で花見が行われた4年後、秀吉は没する。約1300年前に役行者が創立したと言われている修験道僧坊はこうして今に至る。深い歴史のある地。  ↓もしよかったら押してね↓  
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金剛蔵王権現


念願叶って全てがうまくいき行ける事になった金峯山寺蔵王堂の金剛蔵王権現秘仏ご開帳! 今では、車や電車や観光バス等でピューと行けますが昔々は金峯山に参詣するためには、短くても37日、長ければ50日、百日の間、世俗を離れ、酒肉五辛を絶ち、勤行三昧と厳しい潔斎を経てやっと金峯山詣でへの出立が許される、という厳しくも神聖な場所だった。

駐車場は満車で、近畿圏や中国地方はもとより関東地方や中部地方ナンバーの車がずらり。むろん観光バスも何台もとまっていて、人出は賑やかで皆マスクは付けているもののコロナ危険の煽り報道と実際の人達の行動とのギャップをこんなにも感じたのはきっと初めてだったかも。コロナ対策費用って事で駐車場が2千円に値上がりしていた。

吉野と言えば桜が有名ですが未だ咲いていた。金峯山での一千日の苦行の末に役小角が祈り出した金剛蔵王権現。その御姿を桜の木に彫り刻み、後に蔵王堂となる場所に祀り、「桜は蔵王権現の神木だから切ってはいけない」と里人を諭したことから ”桜一本首一つ、桜一本指一つ”と言われるほどに桜の伐採が戒められた。また、桜を献木する信者も多かった。1579年12月には大阪平野の豪商・末吉勘兵衛氏が1万本の桜苗木を寄進している。吉野に逃れこの山に皇居を開いた後醍醐天皇も「役行者の威徳だ」と多くの桜を植えさせた。

吉野 桜


駐車場やロープウェイ駅を降りると細い参道に小さなお店が両側にずらっと建ち並んでいるし屋台も出ているし観光地化している。ここは江戸時代に創業した御店ですね。何軒か破産勧告の貼り紙がしてある閉まった店舗も見かけた。中には露天風呂をウリにしていた御店も破産していた。

吉野 金峯山


1333年1月、大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子)が、鎌倉幕府討幕にむけ6万人の幕府軍を相手に3千人の兵で吉野山で挙兵。敵の進入を阻む掘がつくられていたこの大橋のあたりは激戦となったようで ”攻めが辻” と呼ばれている。1週間持ちこたえたという。蔵王堂に立て籠もった大塔宮護良親王は、討ち死にの覚悟を決め蔵王堂の広い庭で最後の酒宴を催した。嘗てここでそんな事があったなんて想像もつかないくらいのどかでほのぼのした場所。

金峯山 大橋

この写真↑ 人の流れがキレたわずかな一瞬で撮ったんですよ~。山道は下り坂だったり上り坂だったり舗装されて整備されていなければどれだけ険しい山だったのだろうと震える。役小角の人生の過ごし場所はほぼほぼ山で修行三昧だったし、その後の人達も馬や徒歩でここまで来たのかと感嘆する。

金峯山寺の総門である黒門。昭和60年に改築されたそうですが、昔々は公家大名でもこの門からは槍を伏せ馬をおりて通行したと看板に記載してあった。衆生を救う事を願いひたすら修行に生きた役行者から始まり自然に彼を祖として修験道が広まり、明治元年から始まる廃仏毀釈や修験道廃止令などの明治新政府による嫌がらせが行われるまでは、蔵王堂を中心に山上に36坊、山下に百数十坊の堂社が建立している壮大なものだった。

金峯山 大門

明治元年、金峯山寺に対し明治新政府は、”蔵王権現を神に改め、僧侶は神職になるか僧侶をやめて還俗しろ” って通達。明治4年には、境内以外の朱印地や除地を政府が強奪。明治5年には修験道廃止令を出し権現信仰を禁止し、”神社にしねぇなら廃寺なっ” とほざき、明治6年には、”吉野山蔵王堂を金峯神社口ノ宮、山上蔵王堂を同じく奥ノ宮とするべきこと”と通達してきた。神社に変えさせようとしたんですね。天皇陛下を中心に日本国を一つにまとまらせようと必死だったのですかねぇ、そうとしか思えんのだが。

吉水院は吉水神社となったが、後に、東南院、竹林院と桜本坊、山下蔵王堂に金峯山寺の寺号が戻り、喜蔵院が仏寺に復興したがあとは修験寺の復興は許されず全部潰された。修験道廃止によって無職となった山伏は約17万人もいた。

まるで現在のどこかの国の某政党と同じような事してますよねぇ? 突然、こんな酷いことをされたのにその新政府が後々に徴兵制とかでしょっぴいたり、「天皇陛下万歳♪」とかって国を守るためとはいえ突然そんな気になるかいな? 美しくつくられた話なんだろうなぁと思ってしまう。

金峯山 蔵王堂


すっごい凝った造り。修理しないと危険だからか仁王門は閉鎖されていた。

金峯山 蔵王堂


蔵王堂は、出雲大社や東大寺大仏殿と共に国宝建造物として日本三大建築と誉れ高い。落雷や南北朝の戦い等で過去5回焼失している。その度に建て直されてきたわけだが、杉、松、欅、ツツジ、梨などの様々な材木をそのままの状態を活かして使い68本の柱で天井を支えている。天井から何から微細な技術を使った丁寧な造りに見えた。もっと簡単な作りにすることもできるのにここまで凝った建造物にする理由はなんだろうか? 権威付け周囲への威嚇誇示なのだろうか???

金峯山 蔵王堂


蔵王堂の中は、撮影禁止の立札があった。パンフレットで見るとこんな感じ。なんと中央の像は7M越えで超巨大。3体の中央が釈迦如来で過去、向かって右手が千手観世音菩薩で現在、左が弥勒菩薩で未来を表していて、ずっ~と衆生を救いますよという事をあらわしている。この三尊が融合して一体の仏となった御姿が金剛蔵王権現。

大峯山上ヶ岳の山頂にある巨石に座し人々を救う神仏を祈りだすために孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えた役行者。釈迦如来、千手観世音菩薩、弥勒菩薩と順に現れたが、恐ろしい様相でないとなめ切った人々を救えないと 怖いのを!って祈ったんですよね。金剛蔵王権現の御姿を見た時これだ!っと悟ったのだそうなのだが、人間って全く優しくされるだけではダメなんですねぇ。

金剛蔵王権現


実見すると自然とひれ伏してしまうような威厳ある神聖な力を感じるこの金剛蔵王権現は、蔵王堂が1586年の火災で焼失したため宗印仏師が制作し1592年頃に完成したもの。宗印仏師といえば、京都市東山区の方広寺の大仏制作を手掛けた人物。ちなみに豊臣氏滅亡のきっかけとなったのはその方広寺の梵鐘だ。

金剛蔵王権現さまが右手に持つ三鈷杵は天魔を粉砕し、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切り、左足で地下の悪魔を抑えつけ、右足で天地間の悪魔を払っているとう。極めつけの背後の炎は大智慧をあらわしているという。

実物をよ~く見ると、真ん中の像の足の下には眠る虎がいて、隣の像にも足の下に虎がいるんですわ。法衣を着て監視や誘導をしておられる方に質問してみたら、「本当だ、虎だ! 知らなかった! 虎のパンツじゃないかな」と仰っていたが、虎模様のパンツ??? よ~わからんがバイトの僧侶だったのだろうか?(笑) そんな若い感じではなくどんなに若く見ても30代には突入しているだろう御方だったのだが。。。。

明治政府の神仏分離令の時、蔵王権現像は大きすぎて持ち出せないので蔵王権現像の前に大きな鏡をおいて神としておまつりしていたという。山上の本堂は、本堂前の広場に新堂を建てて本堂内の仏像を全部移し、管理を檀家寺に託した。その山上本堂は後に大峯山寺となり現在に至っている。女人禁制でしたよね。差別がー(≧∇≦) ギャハハハ

そして、金剛蔵王権現さまの現在の姿がみれる木像がありますよって事で奥に入ってみた。大きくてびっくりだしよく見ると木の継ぎ目が見えたので丸々一本の木を彫っただけの作りではないんだなぁと。。。鎌倉時代の作品だった。明治政府の廃仏稀釈で壊されたお寺、奥千本の安禅寺蔵王堂のご本尊だった蔵王権現像をここ蔵王堂に逃がしたのがこの像なのかな。

他にも聖徳太子孝養像や、世尊寺の本尊だった釈迦如来像や役行者と前鬼・後鬼像、峰の薬師堂から移された薬師三尊像などなども安置されていた。


印象に残ったのが、理源大師が所持していたという笈(山伏が山野を跋扈するために必要な、用具を収納して運搬できるようにしたもの)。今でいうバックパックみたいなもんなのだろうが、ごっつい小型箪笥みたいなのなんですよ~。理源大師聖宝は、真雅(空海の実弟)に従い出家し若い頃から金峯山で修行をし醍醐寺を創建したり、吉野川に渡り船を設け行場を整備し金峯山に堂を建立し、確実な記録として金剛蔵王菩薩像を造立した最初の人物だ。

金峯山 蔵王堂

この秘仏本尊特別ご開帳!は、1600円。靴を入れる為の金峯山寺ロゴの入ったバックと蔵王権現様祈祷済みの木札がもらえるんですよ~♪ 嬉しいわ~。念願の蔵王権現像がみれ夢が叶った♪

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国家百年の計


※後半一部加筆訂正いたしました。

昨日4月8日はお釈迦様のお誕生日でした。この灌仏会、花まつりってあまり知られていないような気がする。

お釈迦様と言えば、母親の脇の下から生まれたとか、生まれた瞬間にまるで仔馬のように7歩歩いたとか、”天上天下唯我独尊” と突然喋ったとか、天から降りてきた9匹の竜が香湯に入れて釈迦を沐浴させたとか、あまりにもぶっ飛び過ぎていてマジかよ!っとしか思えない異常な赤子であったわけですが。。。


それはさておき日本は根本的に仏教が浸透しているように思えます。日本にはお寺や神社の数が多いですよね。一方キリスト教も様々な宗派にわかれているようですが寺院に比べたら日本では教会の数はお寺に比べると圧倒的に少ないですよね? まぁ自分で実際に数えたわけではないのでガチ正確なところはわかりませんが、少ないはず。


イエスキリストの誕生日はバカみたいにどんちゃん騒ぎの大騒ぎしたり、または、恋人たちの聖なる日♪みたいな感じになっていて、何か知らんが、渋谷のラブホは道にまで続く行列になっているとかアホな話も聞いたことがあります。クリぼっちなんて言葉は小学生でも知っていますし誠に面白い世の中です。クリスマスケーキとかプレゼントを渡してとかは普通に生活に浸透していますしねぇ。

また、以前ハロウィングッズとか売り出して必死に浸透させようとしていましたが、もう20年くらいですね今では子どもたちはハロウィンに親しみ、普通にお菓子の交換とかもしているし、学校で変なお化けの仮装やらされたりもしているし国ぐるみで騒いでいる気もします。


そんなに浸透していないキリスト教のイエスキリストの誕生日は大騒ぎになり、わけわかんねぇカボチャのハロウィンなんてのも暴動が起こるまでの騒ぎとなり。

マクドナルドとかが子ども向けのセットなどを作って小さい時からマクドナルドに馴染ませて強固なリピーターを作るように、クリスマスやハロウィンも子どもの頃から慣らされていればこれが当たり前になりますわなぁ。

バレンタインなんてのも今では、友チョコとかって女友達同士で交換したりとか本来の意味から全く違った方向に行き、企業が儲けでウハウハする日って感じですわなぁ。

一応8月のお盆は休みだったりしますが静かな感じですねぇ。まぁ人の移動でごちゃごちゃするくらいで。



こういうのを見ると、国家百年の計って大事なんだろうなぁってしみじみと思う。

嘗てGHQは占領中、WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム=戦犯裁判広報計画)によって、報道を己に都合よく操り、我々日本人を洗脳し、又、日本にある7769冊もの白人にとって都合の悪い本などを焚書としましたねぇ。

こちら<歴史逍遥『しばやんの日々』~GHQ焚書~>では、GHQ焚書図書の内、国立国会図書館デジタルコレクションでWeb上で無料で読める本が一覧になって紹介されている。というか随時更新中かな。GHQが隠して仕方がなかったGHQ焚書図書を読むことで日本人の意識が変わるかもしれませんね。でもイラっとすることに、公開されていた本が非公開になる事もあるようで、どんだけ知られてはいけない内容なのか余計に興味がわいてしまいますねぇ。


そういえばあの悪名高いNHKって、WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム=戦犯裁判広報計画)を推進したGHQの民間情報教育局が作ったんですよねぇ。堤未果著【株式会社アメリカの日本解体計画】によると、日本人はNHKの報道を一番信用できると思っている御方が多いのね♪

メディア信用度


また、日本で最初の民法局である日テレ(日本テレビ放送網)は、A級戦犯として捕らえられたもののアメリカCIAのスパイになる事で釈放されアメリカの犬として働いた正力松太郎が作ったものですねぇ。読売新聞なんかもそうですが、GHQ占領下でスパイが作った情報網で日本人は、3R(復讐・改組・復活)+5D(武装解除・軍国主義排除・工業生産力破壊・中心勢力解体・民主化)+3S(スポーツ・性・スクリーン)政策=愚民政策で骨抜きにされこんなんになっちまいました。髪を金髪や茶髪に染めたりする白人コンプレックスなんかいなぁ?的な人が多いのも洗脳と関係しているんでしょうかね~。


日本も国家百年の計で建て直さないともうマジまずいですわなぁ。しかし、エドワード・スノーデン氏な~んて御方がおられますが、10年前であの状態ですからなぁ~、今更Lineとかで騒いでいるのも非常に滑稽ですね。ククククク  しかし、独立国日本☆として輝かしく君臨したいものですが、アメリカに都合悪い事するのはヤバ~いですね~。日本があんまり強くなっちゃぁアメリカ様の脅威になっちゃぁダメですよね~。首根っこ掴まれて全部握られていますが一体これから我々どうしたら起死回生できますかね?


☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚

”小室圭さん金銭問題の説明文書” とやらパッーと眺めてみたが、長っ!! どんだけ長いんだよ~。しかも面白くなくて飽きる(^^;

しかし、金銭問題などないそーだが、贈与だとすると贈与税がかかるはずなんだけど贈与税時効になってて大草原ww




*加筆訂正いたします。~ここから~
==引用開始
なお、贈与税を負担しているのかという報道がありますが、母は贈与税を納付しています。

それまでは贈与税を納付する必要があると思っていなかったのですが、報道の後に知人から贈与税は納付しているのかと聞かれたことがきっかけで、念のためにということで納付しました。
==引用終了

”贈与税を納付する必要があると思っていなかった” ということでやはり借金という認識だったのでしょう。しかし知人のツッコミで ”贈与税を念のために納付した” という事は、贈与だったとしたら贈与税払ってないとヤベェ論理破綻しちゃうわ、という事だったのかしら? ”念のために” という一言も非常に気になります。ちなみに私も今回のこの贈与税云々のくだりは知人から教えてもらいましたw
~ここまで~




皇室も国家百年の計で動かんとマジやばいよなぁ。私正直もうウンザリしていて皇室とかマジ必要?って気になってきているしねぇ。。。尊敬の念とかも正直言って。。。敬宮愛子内親王殿下が見ていて唯一ホッとするご存在。お年頃になられて本当に可愛らしくなったわ♪ 敬宮愛子内親王殿下を見ていると正直ホッとするわ~。でも女性宮家とか女系天皇とかの話とは別だけどね。国家百年の謀で天皇制が消滅危機的状況やなぁ。。。 ↓もしよかったら押してね↓  
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ブログタイトルのあまりのヘボさに我ながら辟易していますwヘボいブログタイトルの大壁を乗り越えご訪問いただく方々を尊敬しています。いつもありがとうございます。

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