伊賀上野城
ここはむか~し、伊賀衆の結集の場であり、無量寿福寺(下神戸)や大光寺(寺田) などと共に、”伊賀惣国一揆” 同盟を結んだ土豪らの評定所だった地で、織田信長の伊賀侵攻時に伊賀衆の評定軍議が行われた地。ここには平楽寺と薬師寺の2つのお寺を東西に建てた大寺院があったが、1581年、織田信長軍の侵攻により焼き払われ破壊された。
その後、伊勢国主織田信夫(信長次男)家臣で伊賀国守護となった滝川雄利が砦を築き支配。砦ですからね~砦。

そして、1585年、豊臣秀吉家臣 筒井定次が、大和郡山城から移封となり伊賀上野城を築城。
ここ↓は ”城代役所跡”なんだけどもこんな親切なお城、初めて見た気がする。こんな風↓に ちょうどこの場所は ”居間周辺” ですよ~。とか ”長屋群” のあった所ですよ~、ここは ”広間” ここは ”次書院” っと看板や地面直付けのプレート等で説明されていて非常に分かり易い!! おっーーー!!ここがーーー!!みたいな感じでよく分かるわ~。

筒井順慶の養子となった筒井定次は、信長の死後は人質として大阪城に赴き、順慶35歳で死去すると家督を継ぎ大和郡山城主となってからも数々の戦いで奮戦。伊賀上野に移封後も得意の軍学を武器に大阪城を守るための城として伊賀上野城を築城し、この上野の地を整備した。筒井定次の評判は地元では今なお高く慕われている。ただ家臣の中坊秀祐がなぁ。。。。
中坊秀祐と灌漑用水を巡って争った島左近はじめ数々の重臣が筒井家から離反。中坊秀祐を封じる事が出来ず有能で忠実な島左近らがこぞって離反するということは筒井定次がその器ではなかったとも言えるが。。。

有力家臣団がごっそり筒井家から去った後、城主である筒井定次も家臣である中坊秀祐に はめられる形で徳川家康により改易となり、挙句の果てには切腹を命じられ自害させられている。筒井家をひっちゃかめっちゃかにした中坊秀祐ご本人はその後 ちゃっかり取り立てられているんですがねぇ。。。いますよねーこーゆー人物 (-_-)ウーム

ここ↑が ”台所門跡” ここにもやはり ”柴小屋” とか ”米蔵” とか ”塩噌蔵” とか各場所にプレートが付けられていてイメージわくレベルが他のお城よりも違い過ぎるわ~。ここがっ!!みたいな。こんな風にここ↓は ”裏門” があった場所か~って誰にでも分かるようにしてあるところが凄い!

筒井家改易後の1608年、藤堂高虎が伊賀,伊勢の領主として、伊予今治城から伊賀上野城に入城。伊予から高虎を慕ってやってきた寺院工商の人達もいて伊賀、伊勢国にわけて住まわせたというほどの人望っぷり。築城の名手として名高い高虎だが、下調べも凄いんですね。では、忍者達を全国の百五十城に潜入させ構造調査した上で、大坂城を包囲する為の豊臣家討伐に備えた攻撃用の城として造り替えた伊賀上野城に入ってみよう。

高虎が秀吉から拝領した唐冠形兜をはじめ数々の鎧や兜、とにかくすっごい数。面具や喉輪、こういうの見てると本当に身体張って戦って命の奪い合いをして生きる時代だったんだなぁとおどろおどろしい。軍扇や羽織や駕籠や刀などなど当時の物が所狭しと陳列展示されている。で、伊賀って事で天井にはこのように↓忍者も! あっちの方にはピンクの忍者装束に身を包んだ くノ一 人形も壁をはっていましたよ~。遊び心があっていいですね~♪

2階にも展示物が沢山。錦絵や書や絵の掛け軸、巻物、陶器などを見た時は戦国時代終わったか~って感じでホッとしたんだけど、そこでいきなり現れたのが ”敵方の首級を包んだとされる母衣絹” という物。うわ~~、これで血だらけの首を包んで持ち帰って褒美をもらうために運んだのかぁ~~っと生々しかった。陣鍋なんかもありましたよぉ。
”大阪の陣の足軽などの行装についての覚書” とか ”贈り物への礼状” とかそんな巻物も広げて展示されていた。高虎仕様の膳部や蒔絵手箱とか家具調度品などなども展示されていて満足度高い。

これ↑は3階に展示されている天井絵巻。1612年の大暴風で倒壊した天守閣を川崎克氏が昭和10年に復興。天守閣竣成を祝い、横山大観や著名な画家、書家、政治家などから寄贈された46枚の書画。それぞれ1メートル四方紙なので結構大きいですね。細川護立や尾崎行雄の名が何故か頭に残った。理由は知らん。
ではいよいよクライマックス。危険地帯に行って見よう。危ないですからねーヤバイわー。

これ↓が高虎マジック! あーこれじゃぁ登れないわって見た瞬間思ってしまった。高虎は、西に巾30mの深い堀を作り、高さ30mの石垣を南北押し廻して築き、南北の両隅に櫓台を作り、筒井定次時代の本丸と合せて新本丸とし3倍の大きさに拡張。南に面して二つの出入口を開き、東は古き空堀とし、西側には、大坂城よりも見事!と記述される南北280mの大石垣を新しく築いた。これがそれ↓

座って景色を眺めるのにちょうど良い石♪

これお城の裏側なんだけども、この松↓凄い。地面すれすれを斜面に沿ってのびている。倒れているのではない、こういう生き方 (´ ▽`).。o

高虎は、天嶮ノ要害 ってことでこの伊賀上野城を根城とし、津城を交通の便を考慮し居城とした。何度でも訪れたい場所だ。

よいお城だった~。藤堂家家訓とか天井絵巻の写真つき説明本とかも販売されていて家訓集にはぐらっときましたね。

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