時代を超えた策士、後水尾天皇の秘策


その瞬間、目の前に広がる桜の美しさに心奪われ、「あっ!」と声をあげてしまいました。その場に立ち尽くし、可憐でありながらも堂々としたその姿に、目を奪われること数分。時が止まったような静寂の中、ふと視線を横に移すと、小さな看板が物語を紡いでいました。

車返桜

「車返桜」と名付けられたこの桜は、サトザクラの一品種、「御所御車返し」と呼ばれるものです。八重咲きの花は、「桐ケ谷」とも称される「御車返し」としばしば混同されがちですが、実は別の品種。この桜が「車返」と名付けられた由来は、かつて後水尾天皇が外出中、この桜の圧倒的な美しさに遭遇し、その場で御車を返してまで鑑賞されたという歴史があるのです。

後水尾天皇さえもその場を動けなくなるほどの美しさに、私もまた心を奪われたのです。



京都御所


後陽成天皇は、彼の第一皇子、良仁親王が5歳のときに、豊臣秀吉の勧めにより譲位の意志を示しました。これは、政仁親王、後に後水尾天皇として知られるようになる人物がこの世に生を受ける9年も前のことでした。良仁親王には、9歳年下の弟もおり、彼は早くから出家していました。しかし、時代は移り変わり、豊臣秀吉から徳川家康へと権力は移行し、徳川幕府は14歳の良仁親王を強引に出家させ、その道を閉ざしました。

この深い歴史の渦中で、後陽成天皇は、自らの弟であり、秀才として知られる八条宮智仁親王への譲位を願いました。しかし、幕府の思惑は別にあり、文芸に心を寄せる青年、政仁親王を、天皇として即位させる道を選びました。天皇の承諾が得られないままに、16歳での即位を余儀なくされました。その後、彼は父からの愛を一生得ることなく、時代の大波に翻弄されながらも、孤独と拒絶の中での哀しみに耐え続けました。


京都御所

大阪の地が戦の狭間に揺れていたある時、徳川家康は豊臣秀頼の追討を望み、その許可を後水尾天皇に求めました。しかし、天皇はこの要請を拒絶しました。この緊張の一瞬に、家康は激情に駆られ「隠岐に帝を流す」と叫びました。しかし、その場にいた天海僧上が、この緊迫した状況を静かになだめました。後水尾天皇の拒絶は、権力に屈しない堅固な意志を表しています。


京都御所


江戸時代の初期、日本は徳川幕府の鉄の掌中にあり、その統治は厳しく、時には冷酷でさえありました。幕府は、父と息子の絆をズタズタに引き裂き、禁中並公家諸法度で天皇の行動を規制しその影響力を強要しました。後水尾天皇は、愛する女性、およつとの間には二人の子どもが誕生しましたが、およつとの仲は幕府により引き裂かれその幸せは長くは続きませんでした。幕府の要求により、家康の孫娘、和子との結婚が強いられ、この結婚からもまた子が生まれました。しかし、子の死によって後水尾天皇はさらなる試練に直面します。

その中でも後水尾天皇は、自らの意志を貫き、幕府の圧制に対して静かながらも力強い抵抗を示しました。彼の抵抗は、紫衣事件を含む一連の出来事を経て、女一宮への譲位を強行することで頂点に達しました。この行動は、幕府の絶対的な権力に対する大胆な挑戦であり、彼の治世を象徴する出来事となりました。


京都御所


後水尾天皇の生涯は、権力との抗争、失われた愛、そして不屈の精神の物語です。彼は、幕府による厳格な監視下に置かれながらも、自らの信念を曲げることなく、幕府と対峙し続けました。譲位後も、4人の実子が天皇に即位し、51年間にわたって院政を行うなど、その影響力は長く続きました。85歳でこの世を去るまで、後水尾天皇は、時代を超えて影響を与え続ける、真の気骨を持った人物として記憶されています。


京都御所


後水尾上皇は、まさに文化と学問の花を咲かせた人物でした。彼の存在は、書、和歌、茶道、立花、建築、造園、詩歌、連句、俳諧という、幅広い分野にわたる深い知識によって、時代を超えた美の理想を示しています。彼の三味線の演奏は、聴く者を魅了し、その時代の今様を歌い上げる際には、人々を驚かせ、心を打ちました。また、彼が著した「源氏物語」や「伊勢物語」の注釈書などは、確か46点にも及び文学への深い理解と情熱を示すもので、歴代天皇の中でも著作数が最も多いとされています。約2000首もの和歌を詠み上げ、その数と質において「歌帝」と称される後鳥羽天皇以来、最も和歌に心を寄せた天皇と讃えられています。


京都御所

さらに、後光明、御西、霊元の3天皇の即位に際して示した訓誡書は、天皇としての心得を細やかに説き起こしました。これらの教えは、高慢を避け、思慮深く行動し、常に穏やかであること、神々と仏を敬い、正直さを守ること、和歌といった芸能を大切にし、日々の学びに励むこと、有職故実を習得し、漢学にも精通することなど、幅広い知識と美徳を身につけることの重要性を説いています。

戦国時代から、大嘗祭という重要な皇室の儀式が途絶えてしまっていたのを、霊元天皇の皇子の東山天皇は小規模ながらも見事に復活させました。さらに、東山天皇の遺志と、新井白石の政策により創設された閑院宮は、皇統の安定と継続を図るための見事な戦略でした。119代光格天皇の時代から、将軍権力が天皇からの委任によるものであるという大政委任論が明確になったことは、政治的なパワーバランスにおいて重要な転換点となりました。


京都御所

また、およつと後水尾天皇の愛の結晶である梅宮、彼女が自らの血と墨を混ぜた般若心経や、父の爪を集めて作られた南無観世音菩薩の表現などは、使用された素材の特異性から、まさに黒魔術の秘術に類似していると思えてしまいます。それらの行為が実際に効果があったかどうかは定かではありませんが、日本の皇室が今も国の象徴として存在し、その権威を保持しているのは事実です。


「御水尾、してやったり!これぞ狙い通り!」心の中でニヤリとしちゃうのは、私だけでしょうか?(笑)


京都御所の静寂な空気は、まるで時を超えて様々な人々の息遣いを感じさせます。ここはただの場所ではなく、過去に無数の人々が様々な思いを胸に生きた、深い歴史を秘めた舞台です。その壁は、かつての激情と切ない人間ドラマの証人。歩くごとに、情熱的な愛と失われた夢の物語が、静かに心に寄り添い、深い感動を呼び覚ましてくれます。

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