生き様




ここは奈良市山町にある圓照寺。御水尾天皇の第一皇女梅宮こと文智女王が開山した尼寺である。

関ヶ原の合戦で勝利した家康は、豊臣家と親しい後陽成天皇を譲位させ、豊臣秀吉の養子となった過去がある後陽成天皇の賢い実弟八条宮智仁親王を退け、後陽成天皇の第一皇子の良仁親王14歳を力づくで出家させ追い出し、既に出家していた第二皇子は捨て置き、1611年、豊臣氏のろくに息のかかっていない第三皇子である政仁親王を16歳で天皇の位に即位させた。御水尾天皇である。

1612年、家康の孫の徳川和子6歳の入内交渉が朝幕間で開始され、1614年に正式決定。

圓照寺

そんな折、御水尾天皇と兼ねてから心通わせていた女性・藤原与津子との間に、第一皇子賀茂宮が誕生。翌年1619年6月にはその女性を母として第一皇女梅宮誕生。御水尾天皇は皇子賀茂宮のことを春宮(皇位の第一継承者)と呼びたいそう可愛がっていたという。これが幕府にバレた! よって、公家家臣6人が配流や出仕停止などの処分を受け、御水尾天皇と与津子との接近は禁止され、愛する二人は権力によって無理矢理に引き裂かれてしまう。2人の子どもは宮廷で育てられることになった。


1620年、天皇25歳、和子14歳で結婚。御水尾天皇はその後も次々と新しい女性と関係を持ったそうだが、小さな新しい命は芽生えるたびに次々と殺されていったそうな。御水尾天皇の第一皇子賀茂宮も5歳で死亡。和子との間にだけは皇子女が誕生している。

後水尾天皇突然の譲位後、調査を頼まれた細川三斎も強引な譲位の理由の一つとして幕府にこの子殺し疑惑を報告している。和子が産んだ以外の子で、生き残ったのは梅宮ただ一人である。

天皇の位を和子との間に産まれた皇女に譲位し後水尾院となってからは次々と和子以外の女性との間に子どもが生まれ、最終的に御水尾の子どもは生涯で33人もいる。

圓照寺

そんな梅宮は13歳で、鷹司教平のもとへ嫁いだ。が、4年ももたず離縁されてしまう。御水尾院は梅宮を引き取ったが、禅僧一絲文守が上皇に語る法話を聴き涙を流し、22歳のときに一絲文守から得度を受け出家し、法名を文智、号を大通と称するようになった。

この一絲文守は、沢庵宗彭に帰依していて紫衣事件で幕府に反抗した沢庵が出羽に流された時は沢庵宗彭に付き従い共に出羽国に配流された。赦免されると沢庵は、将軍家光の側近となり東海寺の主となった。それに反発し、生涯、沢庵との関係を断絶し続けた、という気骨の人物である。一絲文守は39歳で病没するまで後水尾院のブレーンとしてつくした。

一絲文守と文智尼は次第に互いに惹かれ合い、どうやら相思相愛だったみたいなんですよねぇ。私の勝手な予想ではプラトニックラブってやつですかねぇ??知らんけど。一絲文守38歳の時に文智尼26歳に宛てた長~い手紙が残っているんですね~。ロマンチック〜(ღ*ˇᴗˇ*)。o♡♡




この木↓すごい。木の洞っての?空洞のところからも草が生えている。この溢れる生命力!

圓照寺

得度をした文智尼は修行し、托鉢の行などもしたそう。その後、修学院につくった草庵・圓照寺で暮らしていたが、離宮を作るのに情熱を燃やす父・御水尾上皇が、ついに見つけた!修学院こそが理想の地だ!ここに離宮造っていい?同じ敷地に一緒に住もっ♫みたいな感じで懇願された彼女は、一絲文守が言っていた 親族近く住むのは修行の妨げになる、との言葉を思い出し、速攻、興福寺一乗院の当覚法親王(文智尼の叔父さん)に頼んで土地を探してもらい、1656年、37歳の文智尼は奈良へと旅立ったのだった。


修学院の圓照寺建立も文智尼のために裏で和子が喜捨していたからできたというし、東福門院和子は修学院を去る文智尼のために移転費用千両を喜捨。その上、文智尼に圓照寺領地2百石を与えてもらえるよう徳川家に頼みこみ叶えてもらっている。更に11年後には100石加増され、圓照寺の寺領は合計三百石となった。

この世の春を謳歌する徳川家の出なのですから高飛車で威張り散らし高慢ちきで陰険な嫌な奴になってもしゃーないかと思うのですが、そうですねぇ、梅宮の命を狙うまではせずともチクチクねちねちといびり倒したりもできたのですが、なんて慈愛のある方なのだろうと感動してしまう。

子どもの頃、児童文学・小公女を読んでセーラの人物像に惹かれ、彼女のように生きようと心に住むセーラと共に成長した私だが(現実は違くても心意気だけは我立派だった也w)、和子はセーラとだぶってみえるほど聖女に思える。

圓照寺


参道はとても綺麗に手入れされている。道路から参道に入ると空気が一変し、静かな空間に涼やかな鶯の声が響き渡っている。


圓照寺


圓照寺


こんな風に竹林に続く道が何本か用意されている。この竹林の道を通っていくと、圓照寺宮墓につきますかね~。


圓照寺


右手に結構大きめの池があった。手のひらを思いっきり広げたくらいの大きさの蛙さんが5匹ほど一斉にピョーンと飛んで大きな音をたてながら水の中に消えた。お魚さんも住んでいるもよう。看板にもあるように圓照寺は、拝観を受け付けていない。なので関係者ではない一般人が行けるのは入口まで。生まれてきてからの文智女王の歩んだ道や取り巻く環境を思うと天真爛漫に無邪気に過ごせる幼子ではなかっただろう。数年間の結婚そして別れ、そして心に大激震を起こした法の教えに出会い生涯の道を決めたそんな彼女が、何百年も前にこの道を歩いたのかと思うと感慨深い。文智尼と東福門院和子のこと私、な~んか好きなんですよね~。


圓照寺



この生け垣を超えるころからは、空気が一段と変わり厳かで、とても気軽に写真を撮るのが自然と憚られた。


圓照寺




圓照寺


参道の左手にある小道、ここを行くと、祟道天皇陵に行くことができる。山の辺の道って書いてある。三輪山麓から石上布留を通り奈良へと続く日本古道。縄文時代に生きていた人たちの時代から使われ続けている古道。大大大大御先祖様たちがここ歩いていたんですね。感動だー☆

しかし、崇道天皇こと悲劇の皇子早良親王を思ってみても、皇族に生まれたからとて、とても幸せだとか安泰だとかは到底思えませんねぇ。とりあえず当時の庶民のように飢え死にすることはないだろうが、権力争いから殺されたり、早良親王などのような悲しい最期を迎えたり、死んでから崇道天皇♪天皇♪とかおだてられてもなんだかなぁ、だったら生きてるうちにチヤホヤしろよ!って感じしかないし。


そして、圓照寺の黒門の名残だろうかの手前右手には、関西三十三霊場との石碑が立ち、古びた階段がある。のぼっていくと、関西三十三霊場の各寺の御詠歌が刻まれた三十三の石柱とお地蔵さまたちが立ち並ぶ。そして小さな御堂がある。

圓照寺


しかし、この黒門の名残とでもいったらいいのか、ボロボロである。ボロボロとは関係ない話だが、ここは住所を見ても奈良市山町というだけあって山深い。昔は山に住む動物さんとかと普通に遭遇していたのではないだろうか?危険はなかったのだろうか。熊さんとか来てたのかなぁ。尼寺で女だけだし、こんな人里離れた所に住んで怖くなかったのかなぁ?

圓照寺


圓照寺


奥に見えるのが圓照寺の山門。奥に建物が見える。拝観禁止というのに門はまるでwelcome!って感じで開け放たれていた。あまりにも開放的で呼ばれているような気もしたので一瞬入っちゃおうかなっても思ったが、でも、禁止って看板に出ているのに図々しく突っ込んでいくのはないですよねぇ。相手が嫌がっているのにあまり近寄るのも嫌がらせですし、ってことで、これより先は足が進まなかった。なのでこんな離れたところから写真だけ撮ってみた。

圓照寺

文智尼の信仰にはゾワッとする鬼気迫るものを感じる。生い立ちを考えると澄み渡る青空のようにはいかないのはなんとなくわかるが、圓照寺に宝として残されていると記録されているものの一例をあげると、文智尼が自身の血と墨を混ぜ書いた自筆の般若心経だとか、父である御水尾の切った爪を集めそれを板に貼り付け南無観世音菩薩と表したり、忍と組み立てたりしたものが残されているとか。なんかちょっと異常性を感じてしまう。素直な感想を述べると、キモ〜。ヤバ怖っメンヘラちゃんみたいな感じがしてしまうが、信仰の強さ故の作品なのだろう。ウーム 私にはまるで分らん境地である。ウーム

爪と言えば、当時は、御神体に刃を向けるのはよくないと天皇はお灸だとか爪切りだとかもしてはいけなかったという。爪切り禁止ってことで、女官が天皇の爪を噛みちぎっていたという。マジっすかーーー!? 爪切りはいけないけど噛みちぎるのはいいんかい!って思わずツッコミをいれたくなってしまう。


でも、そんな文智尼は79歳でお亡くなりになるまで、同じ奈良市に住む腹違いで31歳年下の弟・一条院真敬法親王と親しく交流をしていたという。心温まるエピソードだ。そんな文智尼が歩いた参道を思いをはせながら歩くことができ感無量。人は誰一人すらおらず草木がそよぐ音と鶯の声、池の水が跳ねる音だけが響き渡っていた。厳かな参道である。合掌。

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