いろいろな伝説~當麻寺~


ずっ~と訪れてみたかった當麻寺。役小角秘伝の陀羅尼助を精製したとされる釜が残っており、さらには! 役小角が自ら水を加持した井戸が残るとされている。もともとはこのあたり一帯も、葛城地方の大豪族の家に生まれた役小角の所有地だった。

291年、用明天皇の第四皇子であり、聖徳太子の弟である麻呂子親王が、聖徳太子の訓えにより河内国に建立した禅林寺という官寺があったが、その御寺を681年にこの当麻の地に遷したのがこの當麻寺だとされている。

なんでも麻呂子親王が瑞夢を見たのを天武天皇に話したところ、天武天皇が刑部親王(=天武天皇第九皇子)に役小角を説得しろ!と命じ、刑部親王と麻呂子親王は共に役小角を訪ねたところ、よろこんで譲ってくれたんだとか。で、実際は、麻呂子皇子の孫とされている当麻国見が遷座したという話だ。

当麻寺


ちょっと写真がみづらいですが、江戸時代に制作されたというこの仁王像の阿形像の頭の中に、日本ミツバチの巣がつくられていたのを除去したと、去年だかにニュースが流れていた。20数年前から蜂の出入りが確認されていたというだけあって、巣の重さは20Kg超だったという。数千から数万はいたとされるハチさん達には境内に新しい巣箱が用意されて保護されたという温かいニュースだった。この仁王門をくぐると、日本最古の梵鐘といわれているものをみることができる。

当麻寺


私は、役小角つながりで當麻寺がずっと気になっていたのですが、役小角よりも中将姫♪中将姫♪っと有名な御寺なんですよね。私どうも中将姫ってあんまり好きになれないんですよねぇ。まぁ、嘗ては、”女性は往生できない” と言われていた中、初めて女性で往生したのが中将姫って事で全国的に信仰対象になっているそうですが。血盆経信仰なんてのが広まっていて、女性は月経がある故に死後、血盆池(血の池) の地獄に堕ちる! とか信じられていたんですねぇ。


変だなぁって思うんですよねぇ。平安時代末期の記述から始まり話がだんだん大きくなり、13世紀には、ヨコハギノ大納言の娘が曼荼羅を感得した! となり、15世紀半ばにもなるとヨコハギノ大納言は藤原豊成だった! とかその娘は中将姫という! だとか曼荼羅だとかいろんな説話が広がるようになり、17世紀になると女性の身でありながら往生した!っとどんどん話がエスカレートしてしまいには浄瑠璃とか歌舞伎とか謡曲とかになって流行っていたとか。しかもその話がねぇ。


なんでも、子どもができなかった横佩右大臣豊成夫妻が長谷寺観音に願い、子どもを授かった。が、姫7歳(3歳とかいろいろ) の時に実母が病死。間もなく入った継母が中将姫とその弟を葛城山の地獄谷に捨てたが二人は帝に運良く助けられる。それを知った継母は中将姫を連れ出し雲雀山に捨て武士に殺させようとする。けれど可愛そうに思った武士は夫婦で中将姫を育てたという。武士が亡くなると、狩りにきていた実父と偶然会いようやっと帰宅。

往生を願った中将姫は当麻寺に入り、生身の弥陀を拝したいと本堂に籠居すること5日。ついに尼に化けた阿弥陀如来の化身が現れ言われたとおりに、父親に頼み蓬茎を用意してもらいその糸で曼荼羅を織りあげる。尼は、「実は阿弥陀如来だよ~ん」 と、己の正体を明かし 「13年後の3月14日に迎えに来るね♪」 と言い残し紫雲に乗って二上山の方に消えていったと。で、そのピッタリの日に聖衆来迎され中将姫は無事往生したとの話。

当麻寺

との事ですが、よくできた話ですよねぇ。中将姫を信仰されている方はこれより先は読まないでね。読むとムカつくかも。


==Warning==
これはっきり言って、往生とか言っているけれど単なる自殺願望じゃね?って思うんですよねぇ。自殺願望ですよねぇ。どうみても。それに極楽浄土、極楽浄土なんて思いながら生きる人なんているんかぁ???? って不思議だったのですが、まぁそれはAKB、AKBとかで騒いでいる人とかと同じかぁって思うと、それはまぁ何かにハマっているって事で納得したんですがぁ。自分には理解できなくても趣味趣向って千差万別ですからねぇ。中将姫は極楽浄土にハマっていたと、そういうことですね。で、更に、中将姫は、今すぐにでも極楽浄土に行きたくて行きたくて自殺願望所持者だったんですよねぇ。


あと変だなぁって思うのが、その予言の日にち通りに中将姫が死ぬってのが変だと思うんですよねぇ。そんなピッタリ死ぬってのが。29歳ですよ。で、思ったのが、その触れ回っていた日にち通りに死ぬと宣伝になるじゃないですかぁ、それで実は中将姫、こっそりと殺されたんじゃね? とか思ってしまったりしてしまったんですよねぇ。御寺でこっそりと、とかね。


で、その中将姫伝説ってのも、実母が死んだときの中将姫の年齢も複数あったり、姫が捨てられたとする ひばり山にも複数の候補地があったりするんですよねぇ。まぁ桃太郎の地とかもあっちこっちにあったりするんで金儲けに使えますからねぇ、そういうもんなのかもしれませんけれどねぇ。


で、中将姫の話で共通しているのが、継母にいびられ、山に捨てられ殺されそうになるところ。白雪姫とかヘンゼルとグレーテルとかシンデレラとか古今東西つくられる話で継母が連れ子をいびるという設定。あれなんか単純で安っぽ過ぎる設定だと思いませんかぁ?? 

だってぇ、女の子なんてベラベラお喋りできて楽しいじゃん。幼稚園生くらいになると相談としかしてもいっぱしに自分の考えや意見言うからなかなか頼りになるし、一緒にベラベラいろ~んな事喋れておもろいのにそんないびるかぁ???? そりゃぁ自分の子だろうがいびり殺す人もいるわけだから連れ子を人に殺させようとする人もいるだろうけれども、連れ子が継母にいびられるという安っぽい物語が溢れすぎているような気がするんですよねぇ。安っぽすぎませんかぁ?? それに子どもなんて、あと5年10年もすればもっといろんなこと話せるようになって、もっとおもろい友達みたいになれるのにそんないびるかぁ???? 
 


まぁそれはいいとして、で、”中将姫旧跡・中将姫縁之家勘定仕宅跡” という石碑が奈良県五條市に残されている。中将姫に食物などを提供し助けたという仲山家には、姫からお礼に貰ったという観音像が祀られているという。また、仲山家の隣家の上山家には ”和州宇智郡坂合郷田殿邑 勘定仕由良記” という中将姫と仲山家の由緒書が残されているという。

この五條市の伝承では、匿っていた夫妻がなくなり飢えた中将姫が里に降りてきたことになっている。食べ物を求め中将姫が歩いた道を ”餓え坂” だとか、姫を匿った家を ”中将倉” だとかいろいろ残っているそうな。

姫が都を恋しく思っていたからと恋野という地名になったり、食べ物もなく飢え死にしそうな少女が人々を扇動し、いとのかけ橋 と呼ばれるようになった橋をかけたりしたとのことなのだが・・・・。ねぇ・・・・。で、中将姫はボロ壊れた小屋を見つけそこに住み着き、悲惨に思った里の人たちが食べ物を運んで与えていたということから ”運び堂” と呼ばれたそうだが、乞食の少女を揃いも揃って皆でそんなチヤホヤチヤホヤするもんなんだろうか??? 女の子が一人でふらふらと今以上に当時はヤバくね?って思うのだが無事だったんかいねぇ。

で、その運び堂のすぐそばにあった仲山家に時々姫は恵んでもらいに通っていたそうなんですよねぇ。



他にも、株式会社ツムラのホームページにも記載があるのだが、創業者の母方の実家の藤村家(奈良県宇陀市)が中将姫を匿い、後々に中将姫が考案した婦人薬の処方を伝授されたという言い伝えなどもあり。ただ明治時代から口伝で伝わってきた話で史料などはないそうだ。



あとは、史料はないが奈良県曽爾村にも中将姫を匿ったとの言い伝えがあったり、和歌山県有田市には、中将姫を殺すのをやめた伊藤ヶ獄があり中将姫の石仏が祀られているというし、12人の年寄りが中将姫から和歌を授かっただとか、中将姫を匿い育てたという得生寺などがあるが史料は江戸時代以降につくられたものだという。


中将姫が殺されそうになって匿われたのはここだ! と、あっちこっちで伝わっていて面白い。また、姫を匿った武士の夫婦は、夫が先に亡くなり妻は宇陀市のひばり山青蓮寺の初代住職となったなどの伝承もあったりする。




更に出来過ぎているのが、狩りに遊びに来ていた実父と偶然再会し家に帰るという設定。あまりにも話ができすぎている。更に話はひろまり、中将姫は幼少期から奇跡を起こしてきたかのような話まで出回っていたりもする。


父親と再会し帰宅した中将姫は、継母に庭の松の木に縛り付けられ雪降る中折檻されたという ”雪責めの松” 跡が史跡として奈良市の徳融寺に残されていたりとか様々な場所でいろんな説があり話は多岐にわたるみたいだ。


どーですかいねぇ??? な~んか変だよなぁ~。いい加減、中将姫も大きくなっているのだから松に縛り付けられそうになったら継母を蹴り飛ばして己の身をまもるとか何かすりゃぁいいのにとか思うのだが、やられっぱなしってのが。まぁそれはトラウマで体が動かないとかいろいろあるからいいとしても、それに実父もそんな意地悪な継母がいる所に連れて帰ってきて中将姫を放置しておくってのも変ですよねぇ。な~んかやっぱり話が変過ぎだと思うんだよなぁ。


さてさて、中将堂に入ると、これが陀羅尼助を精製したとされる釜ですね。

当麻寺


で、この井戸が、役小角が加持しその井戸水で陀羅尼助をつくったとされている井戸。えっー!!役行者ここに立ったの~!?っと思うと、おっーーー!!

当麻寺


この剃髪堂↓で、中将姫は剃髪をし尼僧となった。奈良時代は当麻寺は女人禁制だったんですねぇ。なのに何故か當麻寺に入りたいと切望した中将姫。当時、尼寺なかったんですかねぇ???? 何故、當麻寺にそこまでして入りたかったのかがねぇ・・・・・。で、やはり、女人禁制ゆえに入寺を断られたのだが、3日間念仏を唱えたら彼女の足跡が寺内に残ったそうで、それ以来、女人禁制がとかれたんだとか。

御本尊は中将姫を導いたとされる11面観音。

当麻寺


ここの御庭に一歩足を踏み入れ光景をみたとたん、この御庭は素敵だわ~って思わず感嘆の声をあげてしまった。後西天皇を御迎えするために江戸時代に片桐石州がつくったもので、池は ”心” の字形につくられている。むこうに見える塔が、中将姫が住むために実父がつくらせたと言われる護念院ですかね。いやいや西塔だな。

当麻寺


で、左側↓に見えるのが ”御幸の間” 高座っていうんですかねぇ、畳が一枚多く敷いてありましてねぇ、風流にこの素敵な御庭でも眺めたのでしょうねぇ。手前側がこの御庭と同時につくられた茶室。

当麻寺


で、これが二畳中板って事で茶室なんでしょうが、まぁなんちゅうかホームレスの掘立小屋みたいなそんなイメージ。詫び寂び、ちゅうんすかいな?

当麻寺


で、ここで写経とか現在も行われているそうなんですが、天井絵が見どころみたい。140余人もの近代作家が党派を超えて作品を奉納した珍しく貴重なものなんですと。

当麻寺


で、この先には霊宝館があり写真撮影等禁止。白鳳・天平時代からの當麻寺中之坊に伝わる宝物を3カ月ごとに入れ替えて展示している。立体曼荼羅とか刺繍薬師如来像とか扉付きの入れ物に入っているんですが室町時代とかのなのですが、その入れ物というか扉付きの小さな御堂というかも当時の物ですねぇ。

白鳳時代の瓦とか、藤原時代の毘沙門天像とかいろいろ展示されていましたが、中将姫が剃髪したときの髪を糸にして、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩を刺繍したという中将姫毛髪種字三尊てのが展示されていて、髪の毛を糸にしたってのがなんともすんません、キモイって思ってしまった。なんかいろいろこもってそうなイメージがあって・・・まぁ私の心が穢れているからキモッって思うのかもしれませんが。髪の毛を糸にして作ったものが宝物として残されている御寺も他にありますしねぇ。

あとは、日本最古の剃刀として知られているという 中将法如剃髪剃刀 ってのが展示されていた。でも変ですよねぇ。中将姫以外の人たちはどうやって剃髪していたのでしょうねぇ・・・・・。この剃刀が日本最古だとするとねぇ・・・・。まっ、いいか。



で、中之坊を出ると、手前が當麻寺金堂で、右手に見えるのが講堂。

当麻寺

平重衡が南都焼討で興福寺と東大寺を焼き払った時に、興福寺の末寺となっていた當麻寺も講堂が焼かれてしまい建物は鎌倉時代に再建されたもの。当時祀っていた仏様も全部焼失している。よって今は他の御堂からもってきた藤原時代の木造の阿弥陀如来坐像やらが祀られている。


當麻寺の最初の本堂であった金堂には、白鳳時代に粘土でつくられた塑像である弥勒菩薩像があり、この弥勒菩薩像の中には役小角の本尊の孔雀明王像が籠められているそうだ。周囲を白鳳時代の乾漆造や鎌倉時代の木造像の四天王がかためているのだが、役小角が祈願したところ百済から四天王が飛んできたとかなんとかかんとかと以前読んだことがある。まぁこの役小角の四天王のくだりとかはまぁお話なのでしょうがね。

広目天像がなんかすっごいいい感じで特別に気に入った。アナウンスによると、”當麻寺金堂のこの四天王像は、法隆寺の四天王に次ぐ我が国で2番目に古いもので、3番目に古いのは東大寺戒壇院の四天王像” との事。そして ”顎鬚があるのはこの當麻寺の四天王像だけ” との事。



こちら↓が当麻寺本堂。奈良時代763年に制作されたという当麻曼荼羅(根本曼荼羅) は学術的研究の時など以外は劣化が激しく公開していない。当麻曼荼羅は3回転写されていて、建保曼荼羅(1503年に畠山両家の乱で焼失)、文亀曼荼羅、貞亨曼荼羅が現存している。こちら↓當麻寺本堂には1503年に制作された当麻曼荼羅(文亀曼荼羅) が展示されていた。

当麻寺

縦横4メートルもある曼荼羅、まるで絨毯のようだった。極楽浄土の世界を中央に描き、曼荼羅を正面にし向かって左側には観無量寿経の序章の場面が描かれ、向かって右側は、極楽浄土を観想する方法が13段階にわけて描かれている。下段には、信仰のあり方により9通りの往生の仕方があることが描かれている。


信仰されている方や、極楽浄土を夢見る方にとっては素晴らしい物なのでしょうが、正直、すんません、素敵な絵とかには全然見えなくて、こんな巨大なのよく作るよなぁとその情熱に感心した。それに大勢の人というか菩薩が所狭しと描かれていて、あんなところ行きたくないわって思った。そりゃぁまるっきり一人ぼっちはそれはさすがに嫌だけれども、あんなにうじゃうじゃ人がいるところにいくなんて考えるだけでうんざりする。静かに暮らしたい。しかも曼荼羅図には一人になれる場所すらない。人だらけで。あそこには行きたくないな。

”厨子をのせている須弥壇は、側面の螺鈿の模様が特徴で宇治平等院、平泉中尊寺とここ當麻寺だけのもの” とアナウンスが流れていたのが印象的だった。あとは、役業者と前鬼と後鬼のおなじみの形態の木像などが安置されている。



ここ↓をのぼっていくと當麻寺奥院。看板によると ”浄土宗総本山知恩院の御本尊法然上人像を1370年に当麻寺に遷座したのがはじまり” との事。

当麻寺

奥の院の宝物館には、江戸時代に転写された貞亨曼荼羅が展示されていた。他にもいろいろ展示されていたが、いろいろなふざけたような姿勢をした楽器を持った二十五菩薩来迎像が面白かった。あんなおもろそうなら極楽浄土もいいかもなぁ。


ここ當麻寺では、本堂、講堂、金堂、宝物館と入ると係の方がテープを押してくれ説明アナウンスが流れるところがなんともユニークに感じた。




奥院の浄土庭園は、なんとも不思議で素敵な感じだった。”阿弥陀仏を中心に宝池や菩薩など当麻曼荼羅を表現した浄土庭園” との事で、極楽浄土もなかなか素敵なところじゃね、って思った。

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