千利休


先日、≪大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか≫を読んで ”晩年はボケてしまった秀吉” という秀吉のイメージがガラッと変わったのだが、そこで疑問に思ったのが、千利休切腹。秀吉がボケておかしくなったのではなかったとしたら何故、千利休を切腹に追い込んだのか、だった。



千利休はどうやらキリシタンだったんですね。≪千利休 切腹と晩年の真実≫は、丁寧に史料を調べ上げた上で考察し書かれた本だが、南蛮美術館にある内膳屏風に描かれた 外国人修道士たちに囲まれた 雪駄を履き、T字状の杖をつき左手には十字架のついた数珠を持っている日本人老茶人を、帯の色や杖や履物などの細かい事も複数史料から千利休がつけていたものと導き出し、その日本人老茶人を千利休だと結論付けている。


利休七哲(利休の高弟たち)は、全て洗礼を受けたキリシタン、もしくはキリシタンに非常に近いところにいた人達だったし、キリシタンと茶道の様々な所作や道具類などもキリシタンと茶道の密接な関係性を表しているとの説も既にあるとの事。

千利休


聚楽第の橋の下で、十字に磔にされた千利休木像は、キリシタン特有の雪駄を履き、司祭特有のタウ十字というT字状の杖を持っていた。

が、利休がキリシタンだった事が、切腹や磔の原因ではなかったのだろう。秀吉の側近であった安威五左衛門もイエズス会側の記録にも載るキリシタンだったし、前田利家なども熱心なキリシタンだったもよう。



大雨が降り、雷が降り大きなあられが降ったという大荒れの天気の中、利休は死に至らされ、運ばれてきた利休の首を秀吉は首実検をせず、そのまま聚楽第に持っていかせ、磔にされた利休木像に踏みつけるように利休の首を曝させた、というのが定説だと思っていた。


が、利休切腹に関する一次史料は存在しないとの事。一次史料として当時の公家の日記などがわずかに残っているだけで、それによると、利休木像が利休の代わりとして聚楽第の橋の下で磔にされたのはどの日記や書状にも書かれているが、あとは ”利休逐電” と書かれているものしか存在しない。


むしろ、利休切腹と言われているその日に、奈良で鬼の格好に扮した強盗が捕まり処刑された事が複数の一次史料に書かれている。それが後に利休切腹に繋がったのか???


利休は追放処分となったもよう。堺に追放された後、細川三斎が匿い、利休切腹の噂を流し、黒田官兵衛に利休を預けたのではないかと、史料研究から導きだしている。利休のその後も丹念に読みこんだ数々の史料から推測し利休は生きていたとしている。



江戸時代初期には利休切腹が事実として数々の史料に登場してくる。その一番最初の史料が、奈良の茶人・松屋久重が1648年から1652年までに編集した ”三斎公伝書”。細川三斎の没年が1645年、つまり三斎氏の死後に書かれた物。また、細川家歴代藩主の事績を綴った ”綿考輯録”にも、利休切腹の記録が記されているが、これによって細川三斎氏が利休は切腹したと言っていたのだろうと予想される。


利休の木像が身代わりとして十字架に曝され、利休自身は追放された理由は、茶道具商売で不正があったからと≪千利休 切腹と晩年の真実≫の著者は推測している。利休が実は生きていた説は、どこかホッとする。




が、≪軍師千利休≫によると、”利休の始末をつければ細川家は潰さない、と秀吉に言われ、利休切腹の儀は細川忠興(=利休七哲の一人である細川三斎) が執り行った” とこの著者は解釈している。秀吉は利休のクーデターを警戒していたと。

千利休


そして ”利休十字軍の創始者である千利休を処刑すればどうなるか。。。。となり、利休処刑の箝口令を敷き、利休生存と思わせる工作をした”と御主張。だから公家の日記や京都に来た大名の家臣の書状などしか残っていない一次史料には ”利休逐電” と揃いも揃って書かれていると。

なるほどこれも細川家歴代藩主の事績を綴った”綿考輯録”などを考えると、考えられる結論である。

利休には生きていて欲しいのだが、真実は一体どうだったのだろうか。史料や史跡から読み解く歴史の解釈はいろいろである。



あと、折角、≪大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか≫を読んで  秀吉のイメージが良い方に変わっていたのに、≪軍師千利休≫には、秀吉の2度にわたる朝鮮出兵について下記のように記している。


==引用開始
奴隷売買は親が子を売るなど朝飯前で、プロの人攫いも普通にいた。第二次世界大戦直後まで、大っぴらに存在した日本の伝統的職業である。まして11,12歳の児童をセッ〇スの対象としていた時代。その先頭に立っていたのがエロ怪獣秀吉で、「吉」が「エロ」の文字に見えるほどである。人攫いを楽しんでいる男が、他人の人身売買に激怒することはない。
==引用終了


”キリシタンが日本人を奴隷として海外に売っていた” と怒っておられる方を時々見かけるが、私も人身売買については、日本国内でも普通に行われていた事実を知ると、何で問題視するのかが意味が分からなかった。外国に売り飛ばされるのが許せなかったのかな??? 国民の数減るからかな??? っと、売った先が外国だったから怒っている、というのを不思議に思っていたんですよね~。




==引用開始
イエズス大名と自分のポジションを脅かしそうな危ない大名を前線に送って消耗させることである。ただそれだけのものだ。色褪せた朝廷をテコ入れし、煤けた仏教勢力を復活させ、権謀術数でイエズス大名をじわじわと近畿から九州へと追い込む。それ以外の頭の中は、秀吉ファーストと今なら「閲覧注意」の女遊び。
 それでも、イエズス会は一夫一妻制の旗は降ろさなかった。
「この国最大の悪は、色欲の罪に耽ることだ」とヴァリニャーノの『日本巡察記』に苦々しく書かれているとおりである。
==引用終了


などなど。邪魔な大名を戦死させるためと、エロの為と自分ファーストの為に朝鮮出兵したと、≪軍師千利休≫の御著者さんは解釈しておられる。

あと、やっぱりかーーーい! っと思ったのが、


==引用開始
大河ドラマのような美しい戦争などありえない。悲惨、惨憺の凝縮。殺人鬼や強姦マニアが生首を斬り落とし、血だらけの首を山ほど腰にぶら下げることが手柄だった時代。首は敵と味方の区別がつかない。倒れている者なら見境なく斬り落とすので、戦場は首なし死体だらけだったという。さらに首は戦闘員と非戦闘員の区別はないので、殺気立った落ち武者狩りは、人間と見るや襲い掛かる地獄絵図となる。
 「義」もへったくれもない下剋上で勝ち抜いてくる面々が武将となってゆくわけで、想像していただければその結果、どんな世ができあがるかは、シンプルに描ける。
==引用終了


この著者、加治将一氏、取り繕ったきれいごとばかり言わないところがと~っても良いのですが、しかし、彼、かなり口が悪いので本がとても読みずらいんですよねぇ。もうちょっと普通の文章で書いていただけると読みやすいのですがまぁ彼の持ち味って事で仕方がないのでしょう。あと、彼、小気味好良く面白いのですが、なんか性格がどうも擦れちゃっているように感じるんですよねぇ(笑)

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