美しきかな浄瑠璃寺
古来から仏教の聖地といわれ大寺の僧が修養や研鑽のために訪れた浄瑠璃寺。静かな山の中にこっそりひっそり建てられている。年季の入った石柱に時の重さを感じます。

1047年、當麻寺(現・奈良県葛城市)の僧義明上人が堂宇を建立し薬師如来を本尊として創建。1107年に薬師如来を本尊とする堂宇を取り壊し、九体阿弥陀如来像を安置する新本堂を建立。
1787年の拾遺都名所図会を見ると、浄瑠璃寺は当時こんな感じだったみたい。小田原別所と呼ばれていたとの事で、なるほど小田原山って書いてあるわ~。

浄瑠璃寺の古びた門をくぐるとこんな貼り紙が。そばには誰もいなかったのでマスクを外して深呼吸をしてみたらとっても清浄、清々しかったわ~。

門をくぐると左手には1178年に完成したという鐘楼が見え、眼前には興福寺一乗院門跡伊豆僧正恵信が伽藍や坊舎や庭園を整備し1150年に掘ったという池があり。。。。なんか池のそばに立つと、一斉にお魚さんが集まってきて大口開けて食べ物くれくれって感じなのですが。。。食べ物持ち歩いてませんしねぇ。。。。魚の餌とか売られているでもないし魚の大口姿なんかキモいんですがーーー!! 開けた大口の中にお世辞にも綺麗とは言えない池に浮く葉や自然ゴミみたいのがお魚さんの口の中に入っていくのですが、正直ドン引きでした(ーー; キモイ。

門をくぐり見える風景はこんな感じ。こじんまりした小さな敷地のお寺だけど一つの完成された絵のようになっていて美しい。池中央の島の祠には弁才天が祀られている。池向こうに見えるのが本堂で9体の阿弥陀如来像が安置されているとか。

門をくぐり左手には1178年に京都の一条大宮から移築したと記述がある三重塔がある。鐘楼と池に挟まれた小道を通っていくと三重塔に着ける。秒で到着。

この三重塔の閉ざされた扉の向こう側には、浄瑠璃寺開基の時の薬師如来像が安置されているそう。時々チラ見せしてるみたい。屋根とかすっごい凝ったつくりだなぁ。

で、三重塔を後ろに池を右手に緑に囲まれた小道を行くと、何体もの石仏とかが道端に置かれていたのですが、誰がいつ作ったのか近くの赤田川改修工事の際に川底で見つかった物だとの事。
数分もかかりませんねぇ、本堂に到着。本堂の横にも小さな石仏が道端の木の茂み入口に置かれていた。

そのまま真っすぐ行ってここでお金を払うと本堂内に入れる。中は撮影禁止。本堂の縁側を歩き本堂裏からぐるっとまわり入口へ。

古びた木製の引き戸を開けて本堂内に入ると左手にずらっと像が安置されている。平安時代や鎌倉時代につくられた木造四天王立像や吉祥天立像などがずらり。こういうのを見ると滑らかな身体の線とか服の襞とかよくつくられているなぁと感心してみてしまう。そして本堂内は撮影禁止なので平安時代後期の作という木造阿弥陀如来坐像9体のパンフレットの写真を。

よく見ると一体一体微妙に違うのだが、やっぱりどれもこれも釈迦如来にそっくりだな~。釈迦如来と毘盧遮那仏の違いは正直よ~わからんが、阿弥陀如来は9つの印形があるが必ず両手の人差し指と親指がくっついているのが特徴。しかしこういう大仏とかつくるのも謎なのだが、しかもこんなにずらっと同じの作って何故に?? っというのも
釈迦の死後1500年もしくは2000年後から末法の世となり、仏法が衰え世は乱れ、幾ら修行しようとも完遂することない乱世が1万年続くとの末法思想があり、その始まりがちょうど1050年とか1052年だったと言われていたんですよねぇ。阿弥陀仏にひたすら祈念すると阿弥陀仏が来迎し死後は極楽浄土に往生できる♪ という他力本願の教えが広まり、日本では貴族も庶民も皆怯え、貴族はこぞって阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂を建てたとか。
実体のない何かに怯えさせ不安にさせた後、単純な何かで救われると旗を振ると皆が大人しくなっていいな。ククククク
でもまぁ確かに今も 末法の世 と言っても納得せざるを得ない世の中ではあるが。。。
何故9体なのか? というのも九品往生(=極楽往生)思想によるもので、阿弥陀如来の住む極楽浄土に生れたいと願う者には9段階(九品)の往生の仕方があり、極悪人から善徳者まで9段階に分けられていてその階層により死後迎えに来てくれる仏様のメンバーや乗り物が違うんですよねぇ。最下位の下品下生でも金蓮花という乗り物だけですが迎えに来てくれるので取り敢えず拝んでおこう♪という気になるのもわかりますねぇ。
中の阿弥陀如来像は、自然による経年劣化か小動物によるものなのか金箔がとれてきていたり台座部分が壊れたりしてきているので一口千円の寄付が募られていた。また、印象的だったのが明治時代廃寺となった護摩堂の不動明王像が安置されていたこと。
このドラえもんの石像はちょっとホラーっぽいような。正直下手(^^;

この浄瑠璃寺、実は猫屋敷でもあるみたい。喧嘩で耳が引きちぎられ片耳先がV字のオス猫が人懐っこくてずっ~とスリスリしてくるので動けなくて30分位ここにいた。ちょっと強めに撫で続けたら去っていってくれた。

ほら、猫畑。

この浄瑠璃寺は興福寺一乗院の末寺だったそうですが、明治の廃仏毀釈の時に無人寺となり荒れ果ててしまったという。その後、真言律宗に転じて奈良の西大寺の末寺となった。
この浄瑠璃寺は、1047年に當麻寺僧義明上人が開基し、1150年興福寺一乗院僧正恵信が整備し池を掘り、1178年に京都から三重塔移築、その後は1205年に少納言法眼が石を立てるなどして補強、1410年に池の修理、これくらいしか分かっていないんですねぇ。あとは、昭和になって1975年に大規模整備を、2010年に再整備を行った。
年季の入った昔からあるだろうお土産屋さんも短い参道上にある。この御店屋さんもそうだし、浄瑠璃寺の受付や監視をしていた人もかなりの御歳の女性だった。

そして、埴輪って作って売っていいんだ、って気づいた。

しかし御店屋さんも大変ですよね。無理矢理脅して買わせるわけにもいかないし、自由意志で寄ってきて気に入って買っていってくれるのを待つだけなのですから。
この辺り35カ所に、鎌倉時代中期から室町時代そして安土桃山時代にかけて作られた90以上もの崖仏とか石仏とか石塔とかが点在していて当尾石仏群と呼ぶとの事。ざっと荒っぽくGoogleマップで見てもこれだけの崖仏や石仏が確認できる。
昔々、沢山の寺院の塔が屋根のように建ち並んでいた事からこの辺りを塔尾→当尾と呼ぶようになったのだとか。今では石仏が山や道端などに祀られているのが当時の面影を感じさせる。が、石仏とかは何気に怖いのでわざわざは見に行っていない。

↓もしよかったら押してね↓



- 関連記事
-
-
白亜の岩壁~白崎海岸
-
大いなる心で許した~法隆寺~
-
美しきかな浄瑠璃寺
-
恭仁京址
-
木彫りキーホルダー
-