荘園領主 vs. 悪党ー権力に抗う木津の英雄たちー


見た瞬間、正直に言っちゃうと本当に失礼なのですが、なんだか「ただの石の塔」に見えません? でも、実はこの奈良市の隣、木津川市にある五輪塔、国指定の重要文化財なんです! 信じられます? あんな何でもないショボい石の塔が・・・・。しかも、場所は車が一台やっと通れるくらいの狭い道で、周りには住宅がびっしり建っています。

しかし、歴史を考えると、この五輪塔を「ショボい」なんてとても言えない、重い存在であることがわかります。

昔々、この辺りは藤原摂関家を本家とする南都興福寺領でした。

木津惣墓五輪塔

実は、この塔は、鎌倉時代1292年に、木津の僧侶22人が、地域の庶民たちの協力を得て建立したものなのです。僧侶たちが心を一つにして、この場所に塔を築いた光景を想像すると、心に深い感動が湧きあがってきます。史料によると、この僧侶たちは和泉木津の出身で、近くの興福寺や東大寺の僧侶ではなかったようです。


今では、住宅街の狭い一角に、この五輪塔と小さな石仏がいくつか残されているだけですが、昭和の初めまで、ここは約1000坪もの広大な敷地に、約3300もの御墓や供養塔が建ち並ぶ場所でした。「木津の惣墓」と呼ばれ、多くの人々が亡き人たちを偲び、祈りを捧げた場所だったのです。惣墓とはこの地域の共同墓のことです。

歴史の中に埋もれた物語を紐解くと、この五輪塔や石仏たちが静かに語りかけてくるような気がします。その昔、人々が手を合わせ、祈りを込めたこの場所には、時代を超えた魂の温もりが今も感じられます。



さて、ここに眠る人々は、どのような人生を歩んだのでしょうか。実は、荘園領主や六波羅探題といった支配者たちから「悪党」と呼ばれた者たちでした。彼らは、理不尽な権力に敢然と立ち向かった木津壮の土豪や郷民たちで、その墓地には彼らの墓や供養塔が立ち並んでいました。

22人の僧侶たちもまた、そんな木津壮の中から生まれ、地元の庶民たちのために宗教活動をしていた人々でした。彼らの行動には、地域への深い愛と、理不尽に抗う勇気が感じられます。




現在の京都府木津川市は、歴史的にも地政学的にも、争いに巻き込まれやすい場所でした。この地域は、古くから主要な交通路が交差する地点であり、重要な戦略的拠点として機能していました。古代から鎌倉時代にかけては、荘園制度や寺社勢力、貴族や武士たちが入り乱れる時期で、地政学的な要因から争いや戦いに巻き込まれることが多かったとされています。

また、京都と奈良をつなぐ街道が通っていたため、交通の要所としても重要視され、権力争いや宗教的な対立の舞台になることがありました。こうした背景から、木津川市には、鎌倉時代の混乱や武士や僧侶たちによる強訴など、歴史的な事件が数多く関連しています。今では静かで平和な地域ですが、歴史をたどると、その背後にある激動の時代や人々の闘いが浮かび上がってきます。



支配者と被支配者の間にある深い溝と、抗い続けた人々の魂が、この場所には刻み込まれています。五輪塔が静かに立つその地に足を踏み入れると、まるで歴史が風に乗って、彼らの声が今も響いてくるかのような感覚に包まれます。時代の荒波に翻弄された彼らの祈りや願いが、この場所を訪れた私の心に深く訴えかけてくるような気がしました。

木津惣墓五輪塔

一例をあげると、興福寺の僧たちは、幕府の圧力を受けていた朝廷に何度も強訴しました。1235年には、彼らは京都に大行進を行いました。この行進は11世紀以来続く伝統的な強訴の手法で、春日大明神の御神体である鏡を付けた榊の神木を、僧兵たちがかついで朝廷に押しかけたのです。強訴の理由は、薪荘と大住荘の間で起こった用水権や薪採取権、山の境界をめぐる争いでした。薪荘は皇室御廟である石清水八幡宮の、そして大住荘は摂関家の氏寺である興福寺の荘園であり、荘園での争いが中央政界の皇族や貴族の対立へと発展したのです。興福寺側は、摂関家の力を借りて強訴によって自らに有利な解決を図りました。こうした強訴は度々起こっていました。


こうした強訴の際、神木が京都に上るときには、木津に "木津殿" が設けられました。これは神木が移動する際の仮の拠点で、神体を安置する御殿をはじめ、聖僧像や勝手明神などを置く施設、神官・神職用の建物などが立てられ、その設営や供物、米・油などの準備が木津の住民に課せられました。木津の住民にとっては、神木の移動が来るたびに重い負担となったのです。


その結果、13世紀後半には、興福寺や春日神社の指示に抵抗し、命令を拒否する者たちが現れ始めました。特に、木津から久世郡平川にかけての奈良街道の要点に、こうした有力住民が増えました。興福寺だけでなく、東大寺の荘園でも同様の傾向が見られるようになり、荘園領主たちは手に負えなくなって、六波羅探題に訴えるようになりました。そこから、「悪党」として指名手配されたのです。1268年には、興福寺一乗院に抵抗した半俗半僧の弁慶、1273年には東大寺領木津荘庄村郷の得太郎男、1290年には木津五郎などが、そうした「悪党」として名を挙げられたのです。


五輪塔は、社会がこのような混乱した13世紀末、1292年に建立されました。混乱と対立の中でも、僧たちが信仰と祈りを忘れず、庶民たちのために心を尽くした証として、この五輪塔が存在しているのです。彼らの強い意志と信仰心が、この石に刻まれているかのように感じられます。しかし、14世紀になっても、興福寺の僧兵たちは何度も強訴のために木津を通り、京都へ向かいました。


和菓子 母の日

静かに農作物を育てながら、慎ましく暮らす人々と、支配権を巡って争い、周囲を恐怖で支配し、好き放題する権力者たち、一体どっちが悪党なのでしょうか?

現代においても、高齢者が空腹を満たすためにおにぎりを一つ盗んで逮捕されるニュースがある一方で、キックバックや巨額献金を求めて平然と売国行為を行い、国民に重税を押し付ける権力者たちがいるようです。一体どちらが悪党なのでしょうか? 貧困に苦しむ人々が小さな罪で厳しく処罰される一方で、権力者たちはその権力を利用して自らの利益を追求し、国民の負担を増やすという不公正な現実があるような気がします。気のせいだといいのですが・・・・。

とりあえずもう、笑うしかない(失笑)╮(︶﹏︶")╭ヤレヤレ💧

↓♥️⭐❀ ❁*✲゚* ✿.。.:*♡クリックしてね❀ ❁*✲゚* ✿.。.:*♡(*ฅ́˘ฅ̀*)♡↓⭐♥️
人気ブログランキング ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ : 主婦の日常日記
ジャンル : 日記

カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
Profile

はーとまいんど

Author:はーとまいんど

SponsorLink
Latest comments
最新記事
Category
Search form
SponsorLink
Monthly archive