安土城3
石段をさらにのぼっていくと、右手に徳川家康邸跡地がある。徳川家康邸跡地ですから、秀吉邸跡地だったと伝わる場所よりももっと盛大に整備され観光できるようになっているのかなと思いきや、今現在は摠見寺が移設され使われている。徳川家康への扱いもなかなかのように思えた。
そして、このように大きな鐘があり、自由に鐘をつけるようになっていた。折角なので鐘を打つと、深い響き渡る良い鐘音が響き渡った。が、そんな深く澄んだ鐘の音の余韻に浸る間もなく左側から御高齢女性と思われる人の怒鳴り声が聞こえてきて内外の静寂を一瞬でぶち壊された。耳を澄ますと「どうやって入ってきた!」だとか「信じられない!」だとか大声で言い、人ともめているようだ。

鐘を突く場所から正面を見ると、蛙さんやらの置物やら石仏やら石やらがびっちり置かれ、人が通れる状態ではとてもなかった。またそれだけではなく、更に、進入禁止の貼り紙がなされてあった。だが、鐘を突く位置から斜め左手を見ると、両脇に石が置かれてあったがその中央は人が普通に行き来できるようになっていた。そして、進入禁止などの貼り紙も何もない。それで、人がそこに入っていってもめたようだ。
呆然としていたら、左手から数人の観光客らしき人達が「なにこれわかんないよね?」とか語りながら出てきて、「ここ行かない方がいいですよ」と教えてくれた。
まぁ確かに、この状態では知らずに中に入ってしまう人も一定数いるだろうなぁと思えるおつくりだった。そして知らずに入ってきた観光客を怒鳴りつけている日常なのだろうか??? 超一級の釣り師じゃねぇか、と思わざるを得ないおつくりにしか見えなかった。「さぁさぁどうぞ、おこしやす~♪」みたいな わざわざ人を招き入れるおつくりなのだから。怒鳴られた方々がとても気の毒に思えた。巧妙な罠にかかってしまった尊い犠牲者の御蔭で、私は侵入することなく怒鳴られずに済んだのだった。
罠としか思えない、釣り師としか思えない、そういった状況を作り出してしまう心理状態というのが確かあるはずなんですよねぇ・・・・。人と人のコミュニケーションって難しいですねぇ(白目)
そういえば入り口付近にも、今現在この特別史跡安土城址の全域は、宗教法人摠見寺の所有地である。そのご厚意により安土城跡を見学できるようにしてやってる、旨が書かれてあったのを思い出した。
ん?と思ったのでその場でスマホでググってみたら、入山料も徴収しているのだが、さらに寄付金も募集しているようだ。なっ、なかなかだな。

出典:摠見寺HP
本能寺の変が起こると明智軍は安土城を占拠し、光秀は安土城にある財宝を家臣たちに分配。が、山崎の戦いで光秀軍が敗れた直後、火があがり安土城天守と本丸が焼失。その後、秀吉は焼けずに残った二の丸などが存する安土城に信長の孫である三法師(織田秀信)らを入城させたが、小牧長久手の戦い1年後に安土城を廃城とした。
その後、焼失を免れた摠見寺が安土城跡を守ってきたそうで、今では安土城址全域は、宗教法人摠見寺の所有地となっている。まぁ現民法でも占有開始時に善意無過失で所有の意志を持ち平穏にかつ公然と10年間占有すると所有権を得られますしね。それに、安土城はもともとは織田氏の居城だったわけですし、歴代住職さんの名をみると、織田姓や津田姓でほぼほぼしめられ織田家一族なんですねぇ。。。

出典;Wikipedia摠見寺
まぁ何はともあれ、余計なお世話かもしれませんが、まるでワナをかけ誘い込んでお前が悪い!と怒鳴りちらす、そういう一流の釣り師みたいなことをしていると評判悪くなるから、立ち入り禁止ならもっとわかりやすくきちんと表示するとかした方がいいように思うんですよねぇ。本当に防止したいのであれば、誰しもがわかるように明確に拒絶しますよねぇ。まっ、わたしゃぁどーでもいいっすけど。(言われた人達のなにかがうつったような気がするなぁ。。ここまで書いてるから。。。。本当に私が書いているのかな。)
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