素敵な茶番


ここは、京都市中央区に存する本能寺跡地。烏丸駅付近でのついでに立ち寄ってみた。で、この石碑に辿り着き石碑に視線を向けると、私が来たのと反対側方面から小学生の男の子とそのお母さんらしき二人組が来て、この石碑を眺め始めた。そして、そのお母さんらしき方が、「私たちと同じ、同じよ、うふふふふ」 と言いながら、このこの~、みたいな感じで肘を曲げ隣にいる男の子の腕にツンツンとぶつけていた(笑) ん?

本能寺跡地



いなくなってからゆっくり見るか、と思い対岸の道路端に移動してスマホをいじるふりをしてみた。ら、その男の子が本能寺跡石碑前にピース姿で立ち、見た目40代くらいの母親だろう女性がスマホで写真撮影。そこまでか、と思ったら、今度はその母親らしき女性が本能寺石碑前で同じように満面の笑顔でピースをして立ち、それを男の子がスマホで写真撮影。

あぁ???? とあまりの出来事に驚愕し思考が遮断された。えっ!?本能寺跡地前で満面の笑顔でピース写真?? しかも交互に写真撮ってるし。意味わかっているのだろうか?? いや、さすがに本能寺あまりにも有名だから分かっててやっているのだろう。ここでピース姿で笑顔ではしゃぎながら写真撮影するとは。。。。。。。??? 意味わかってるよね??? とかなり頭は混乱した。

一人悶々と頭と心が混乱している中、親子だと思われる二人はそのまま道路を歩き姿を消した。

本能寺跡地


さてさて、本能寺跡地は、今では消防署となっている。本能寺跡地に消防署、これはなんとなく火消って感じで、本能寺跡地にふさわしい使い方で、あっているように感じた。

本能寺跡地



本能寺跡地


消防署とその前の道路はこんな↑感じ。さて、消防署を右手に曲がり本能寺跡地をさらに見てみよう。


本能寺跡地



はてはて、これは。。。。なんと、市の特別養護老人ホームになっていた。んん~、本能寺跡地に老人ホームとな。んん~、なんとも言い表せない微妙な趣がありますわなぁ。

しかし、まぁ、土地なんてどこも似たり寄ったりですわなぁ。四条河原や六条河原では仲睦まじそうな男女が身体を寄せ合い隣に座り川の流れを見ていたり、心地よい天気の日には気持ちよさそうに寝転んでお昼寝をしている人の姿も見れる。一昔前は度々、残虐で悲惨な虐殺や処刑やらの末に流れた赤い血で、河原や川の水が真っ赤に染まっていたが、今となってはそんな恐ろしい地獄絵図は想像もできないほど美しく長閑な光景なのですから、まったりしたくなるものよ~わかる。

日本全国、いやいや世界中がそんな感じですよねぇ。選り好みしていたら住む場所や生活する場所なくなるわい!って感じですから、そう思うと、殺人事件や自殺や孤独死でとんでもない状態になっていた家や部屋などの事故物件も大したことなく思えてくる。

本能寺跡地



本能寺跡地



老人ホームの端外には、此付近本能寺址と刻まれた石碑が。今現在ある本能寺は、豊臣秀吉によって場所移動させられこの本能寺跡地から徒歩20分程度の所にある。やはり見るなら現場ですよね!?


本能寺跡地


本能寺の変で死んだとされている織田信長の遺体は、どれだけ必死になって探しても見つからず、信長葬儀の際、秀吉は信長の等身大の木像をつくらせそれを焼いて遺灰とし骨壺にいれたそうな。故に様々な説が流れているが、どれも想像の域を出ていない。どれももっともらしく思えるし、結局は真実わからんだよね!?と最後にはブチ切れそうになる(笑)


信長死んだ説を唱える人の中には、信長の部下が遺体を持ち去っただとか、本能寺の変後百数十年後に書かれた資料をもとに清玉上人僧侶が遺体を持ち去っただとか、本行院日海僧侶が遺体を持ち去っただとかいう方もおられる。

また一方では、やはりそれでも信長の遺体は見つかっていない、また、当時の本能寺は鉄砲や火薬の入手で名が知られており、ここ本能寺跡地から徒歩数分の地に存する南蛮寺跡地まで火薬等保管のための地下通路が存在していて、信長はそこから脱出し、実は信長は生きていた説!というのもある。はたまた信長はもともと本能寺にはいなかった説も。


様々な説の中で私が一番気に入っているのは、本能寺の変は実は、織田信長、徳川家康、明智光秀の3者で練られた世間目くらましの為の演出事件だったというもの。まっ、茶番劇ですな。天下統一への大筋が終わったため、信長、家康、光秀の3者は本能寺の変を演出。それで信長が死んだことにし世間から隠して引退。その後、徳川家康が天下統一の続きをするという3者で考えていたシナリオ。

最終的に家康が天下を握り、仲良く信長、家康、光秀の3者で考えた道筋どおりになった。って、やつ。本能寺の変の演出後、死んだことになっている信長は、本物の光秀は生きているんですねぇで、その光秀と落ち合い白山中居神社で暮らした、とか、石徹白で暮らしたとか伝えられている。それが証拠?に、徳川家康は、白山中居神社のある村だけは、神に仕える村として年貢免除、名字帯刀の許可、毎年一度特使を派遣するなど特別待遇を処した。


まぁ今現在も特に日本では未だにウイルスさんを主役にした壮大な茶番劇が繰り広げられているようですが、昔からそういう茶番劇ってあったんですね~。知らんけど。



と、言う事で、本能寺跡地の石碑前で満面の笑顔でピース写真を撮り合っていたあの親子らしき二人組は、もしかしたら教科書派ではなく、こっち系の御方だったのかもしれない。だったら笑顔でピース写真も大いに納得がいく。

本能寺跡地で笑顔でピース写真???? っと、あまりにも突然のことでビビって啞然とし硬直フリーズしてしまっていたが、今思うと、二人で並んだ写真撮ってあげれば良かった。

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