昔昔浦島は~(^^♪


”仮面をとった浦島太郎ーその正体をめぐる478年のミステリー”高橋大輔著

浦島太郎
この本は、著者高橋大輔氏が、史料を紐解いたり、現地に行っていろいろ見聞きしたり考察したりの他、ウミガメを追跡したりとかもして、浦島太郎の実像に迫った本だ。が、

変てこな昔ばなしと思っていた浦島太郎の実態とは、ひとつの王国の海を股に掛けた壮大な物語だった。圧倒的なスケール感。



浦島太郎の話は、『丹後国風土記』『日本書紀』『万葉集』に出てくるが、なぜ二系統の話になっているのか、また各地に伝わる浦嶋伝説についても現地に赴き丁寧に調べ、整合性がとれるよう理論的に歴史をひもといている。


==引用開始
『日本書紀』に記された478年の浦嶋子に関する記述は、大和政権が丹後王国を完全制覇したことを粛々と伝える一文だったのである。
==引用終了



”478年、浦嶋子、丹後より去れり”この一文ですね。あと、出雲の国譲りの話とか、なんか変だなぁって思っていたのですが、



==引用開始
 丹後ばかりではない。『日本書紀』では隼人族支配を伝える海幸山幸神話、出雲王国の支配を伝える国譲り神話など、地方王国の支配は神話によって語られる。大和政権は各地の現地勢力を制圧後、土着の神とその物語を日本神話に取り入れ、讃えることで大和政権の正当性を謳った。
 つまり大和政権の丹後支配は浦嶋伝説によって物語られたのだ。
==引用終了



あー、なるほど、そう言う事か、と全てが合点がいった。そしてこの一文↓は真実を素直に表現しているだけなのだが、歴史書き換えなどをする小汚い勝者に怒りや憎しみや嫌悪感が増す一文だ。


==引用開始
世の趨勢として、敗者の歴史は埋もれる運命にある。勝者が書き換える歴史物語には敗者の歴史ばかりか、神話や伝説までもが吞み込まれてしまう。
==引用終了


では折角なのでちょっと煽ってみよう。こちら↓は丹後刻印が27個も捺された丹後国司の公文書『丹後国司解』原本で、東大寺に保管されてきたもの。奴2人と婢2人、計4人の奴婢を、各人の名前・年齢と身体的特徴、誰から買い入れたかわかるように本の賤主、つまり所有主の戸主としての戸籍を付記したうえ、いずれも稲価1000束、合計4000束で買入進上する旨を伝えている。

浦島太郎
出典;森本公誠著【東大寺奴婢集団のサバイバル】

”奴婢5人、年30以下15以上で容姿端正なる者を正税をもって買価に充て、和買、つまり所有主との納得のうえ買い入れ貢進するように。” ですと。丹後国では歯老だったり容姿が悪い事を理由に奴婢が見つからなかったと言い訳している。


他にも同様の『但馬国司解』 『美濃国司解』』などなどがあり、東大寺に帰属した奴婢に関する東大寺伝来の文書史料は現在46通が確認されている。


律令制




こういった奴隷売買は成功したかというと、奴婢のほとんどが何度も逃亡している。男性の奴だけでなく女性の婢も逃亡していて、捕まって送り返されるのだが、国司や郡司の役人やらに囲まれ手を縛られて東大寺に送り返されたりしている。





あぁつい話が横に流れてしまいました。浦島太郎の御話でした。で、浦島太郎こと浦嶋子は、実は!『魏志倭人伝』にも ”シマコ” として名が残っているんですねぇ。2世紀に丹後王国を最高潮にまで発展させた丹後王国の王浦嶋子。



丹後には古墳が多い事で知られるが、日本海側の巨大古墳の第1位~第3位までが丹後半島に集中して存する。また、浦入遺跡(京都府舞鶴市)からは、全長10メートルほどの外洋航海も可能な縄文時代の丸木舟が発掘されている。縄文時代の船としては最大級の大きさだ。

浦島太郎
かつて、弥生時代には丹後王国もしくは大丹波王国ともいわれる独立した巨大な先進的な海洋国家が丹後半島を核として存在したことは既に様々なところで語られている。その勢力は、丹後、丹波、但馬、若狭、山城、近江、難波、大和やその周辺にすら及んだともいう。




浦嶋太郎はその丹後王国の王様で、京都府与謝郡与謝野町岩滝にある大風呂南1号墓が彼の墓ではないかと考えられている。約40メートル以上もの墳丘墓で弥生時代の墳墓としては最大級のもの。大風呂南1号墓から出土された木棺は舟形。海に漕ぎ出し互いの物を交換する輸出入貿易をしていた人の棺を舟形にするってロマンだわ~。

青色のガラス釧(腕輪)、銅や貝の腕輪、ガラス勾玉と碧玉菅玉の首飾り、11本の鉄剣などの鉄製品などが副葬品として出土している。


弥生時代にガラス釧が出土しているのは、私が知っている限りでは、北九州、出雲、丹後のみで、しかも、その数もわずか8点にすぎない。しかも完成品のガラス釧は大風呂南1号墓でしか出土していない。一つの棺から約600個もの青色の小さなガラス玉が出土したりもしている。


丹後半島の京丹後市弥栄町にある奈具岡遺跡からは、緑色の菅玉づくりの工房と、水晶製の玉製品を制作した水晶玉工房が存在稼働し、宝石づくりを行っていた事がわかっている。この弥生時代の水晶玉工房は96基も見つかっていて、水晶を加工する小道具類も数千点出土している。この工房は日本最古でしかも日本最大規模を誇る。直径1mmもないμm台の石錐の製作すらここで行われていたという。

浦島太郎
出典:京丹後市史資料編 京丹後市の考古資料

副葬品から、弥生時代当時の丹後王国の人たちは、朝鮮半島、中国大陸、沖縄、ベトナムなどと海洋航海を通じて交流していたことがわかる。


そして、当時の墳墓のおさめる副葬鉄剣は一埋葬施設に一本なのだが、大風呂南1号墓では11本も埋葬されている。鉄が貴重な時代において、11本もの鉄剣を副葬できる国だった。一つの遺跡から100点だとか200点だとかの多量の鉄器が出土するのも特徴だ。丹後半島では弥生時代中期頃からの鉄器の出土量が日本一であり、珍しい鉄鍬や鉄ヤスなども出土している。

浦島太郎
出典:丹後発掘 縄文・弥生・古墳時代

また京丹後市弥栄町の遠所遺跡(古墳時代後期)には、日本で最古にして最大の古代の鉄製コンビナートがあったことが分かっている。



さらにさらに、京丹後市峰山町の扇谷遺跡、途中ヶ丘遺跡、古殿遺跡からは、弥生時代の紡錘車や紡錘車のかせや糸枠が出土しており既に織物をしていたという。



713年、勢力を広げた大和政権によって、この王国は、丹波と丹後の2国に分割されてしまうのだが。。その王国すら支配下におさめてしまう大和政権はやはり強かったんでしょうねぇ。。。しかし、日本列島の各地域の人々を汚い手を使いそうやって追いやり従わさせ駆逐してきたのだが、その追いやられた側の人間の子孫が、しゃーないから黙っているのならわかるが、「天皇陛下ー!天皇陛下ー!皇室ー!皇室ー!」とかキャーキャー騒いでいるのには妙な違和感を持つ。上皇陛下や今上天皇はただ生まれた時から定められている役割をこなしているだけなのでそうっとしておこうって思うのですが、しかし、言っちゃぁ悪いですが正直、昭和天皇ってめっちゃ人相悪いですよねぇ。言っちまった。ヤベェ



浦嶋子が蓬莱山へ出かけたとされる478年7月、丹後の土地神であった豊受大神が丹後から伊勢神宮に遷座した。ここで思い出すのが先に記した一文↓である。

==引用開始
大和政権は各地の現地勢力を制圧後、土着の神とその物語を日本神話に取り入れ、讃えることで大和政権の正当性を謳った。
 つまり大和政権の丹後支配は浦嶋伝説によって物語られたのだ。
==引用終了


遷座した、というと聞こえがいいが、丹後の土着神であった豊受大神を丹後から強奪したんですねぇ。丹後王国の王である浦嶋子が龍宮に旅だって丹後から消えた、という物語と同じ年月にねぇ。”478年、浦嶋子、丹後より去れり” これですねぇ。うまいことやりましたなぁ、大和政権ってのは。

で、故に、丹後は元伊勢と言われ、幕末の おかげ参り の時には丹後の籠神社や真名井神社にも参詣者集団が続々とつめかけたという。

60年周期で起こったと言われるおかげ参りには、江戸幕府の人たちもお手上げで通行手形などなしで何千人何万人と「おかげでさ、するりとな、抜けたとさ」と歌い踊りながら伊勢へと向かったという。

当時の人口の17%にあたる500万人がいっせいにおかげ参りをした記録などもありこりゃ自然災害と同じで傍観するしかあるまい。面白いのが、男性の多くが女装をし、女性の多くが男装をし褌をしめ裾をたくし上げていたという。一世一代の祭りみたいな感じかな。富豪、豪商の者たちは食事から薬からわらじから宿泊所まで無料で与えたりしながら支援したという。当時生きていたら私もこの おかげ参り のどんちゃん騒ぎに確実に参加しているな(笑)楽しそう!




あっ、で、”浦嶋子が蓬莱山へ出かけたとされる478年7月、丹後の土地神であった豊受大神が丹後から伊勢神宮に遷座した。” これですね。しつこいようですがもう一度言っておきます。それがこれ↓に繋がるわけです。


==引用開始
 丹後ばかりではない。『日本書紀』では隼人族支配を伝える海幸山幸神話、出雲王国の支配を伝える国譲り神話など、地方王国の支配は神話によって語られる。大和政権は各地の現地勢力を制圧後、土着の神とその物語を日本神話に取り入れ、讃えることで大和政権の正当性を謳った。
 つまり大和政権の丹後支配は浦嶋伝説によって物語られたのだ。
==引用終了


ムカつく、大和政権タヒねばいいのに。ヒヒヒヒヒ


京丹後市網野町には浦嶋子の末裔が今も暮らしているという。また、丹後一宮籠神社には日本最古級の竪系図である国宝『海部氏系図』と『海部氏勘注系図』が存在する。約1200年もの間、「他見許さず」として秘蔵されていたもので、水戸黄門が見たい!と言っても見せてもらえなかったという話まであるほどだ。大和政権に屈してからは ”海部直” の姓をあてがわれ支配下に置かれたと考えられている。大和政権タヒねばいいのに。クククク

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