日本一高い山城
”日本一高い山城” と書いてあり、んん!? と違和感を感じてしまうような文言が眩しい 備中松山城。日本三大山城といえば、高さ的には
1位 岩村城(岐阜県)
2位 高取城(奈良県)
3位 松山城(岡山県)
が! 日本で唯一、天守がある山城で更に、日本で一番高いのがこの備中松山城! なので、”日本一高い山城”と記載してある。って、日本一高い山城って岩村城やん!って思っちゃうじゃん!! 省略しないでちゃんと全部書けよ!っとツッコミを入れたくなる備中松山城の看板でした(^^;
備中高梁駅から車で10分程度で、この ふいご峠駐車場までこれる。臥牛山の5合目にある城見橋公園駐車場からふいご峠駐車場までは徒歩20分くらいでしょうか。城見橋公園駐車場からは道幅が非常に狭く対向車のすれ違いが不可能なので、入り口で警備員さんにトランシーバーを渡された。車1台ずつしか通れないので指示があったら従ってくれ、と。

天守の御社壇の間に安置した宝刀は、このふいご峠で作り、江戸時代には刀を打つための大きなふいごがあったためにふいご峠と呼ばれるようになったんですと。
山城は戦いのための国の象徴。城主はこの山の下にある御根小屋に住み、政務などもそこで行われていた。今現在は、高梁高等学校として使われている。また当時、その周辺には武家屋敷が沢山あった。武家屋敷の見学は時間がなくてパスしたが・・。
鎌倉時代1240年に承久の乱で戦功のあった秋葉三郎重信がこの地に赴任し、今現在天守がある地から700メートルほど進んだ場所、大松山に砦を築いたのが備中松山城の始まり。
1331年には秋葉氏を討破って高橋九郎左衛門が城を乗っ取り、今現在天守があるあたりまで城域を拡張し、大松山城跡と小松山城跡の二つの砦を築き兄弟で支配。こういった諸々両方ともあわせて備中松山城ちゅうんですねぇ。
1240年から明治維新を迎えるまでに18代48名の城主がいて沢山の御家がくるくると城主になっている。1574年の備中兵乱(備中の戦国大名三村元親と毛利氏・宇喜多氏による戦い)の時に砦21丸と呼ばれる出丸が築かれ臥牛山全体が一大要塞となった。
1641年から赴任した水谷家は3代目の御世継ぎがなく御家断絶に。江戸幕府と戦って討死する決意の水谷家の家臣たちと、幕府から派遣された浅野家の大石内蔵助が話し合いをし無事無血開城となった。その後、1年半ほど城番として大石内蔵助が備中松山城にいた。私は大石内蔵助そんな好きでもなんでもないのでどーでもいいちゃぁどーでもいいのですが、天守まで登る途中で休憩をした石が、大石内蔵助腰掛石として残されている。

この下↑に続く道は、昔のままの道だそうで今となってはこの道を使って登ってくる人はまずいない。上に行く道は観光用ですから手入れがなされている。この山には天気の良い日は出てこないが野生のニホンザルが暮らしていて天然記念物臥牛山サル生息地に指定されているほど。
明治維新後、廃城令で使われなくなり、誰も訪れる人もなく忘れ去られた地に。昭和2年に岡山県立高梁中学校に赴任してきたお城と写真が大好きな社会の先生信野友春氏が山に登り、天守も二重櫓もなにもかもがボロボロになった備中松山城跡を発見。一人で一生懸命に調べている姿を見た町の人たちが保存会を作り、大東亜戦争が始るちょっと前の昭和15年からお城の手入れが実現していく。この社会の先生、信野友春氏の岡山県立高梁中学校への赴任があと3年遅かったら、備中松山城のなにもかもが朽ち果ててなくなっていただろうと言われているくらいにボロボロ状態だったらしい。現存率は30%を切る程度しか残っていない。
所々にこうした木札が立っていて遊び心があって面白い。

標高353,7メートルの地に建つ兵庫県の竹田城が、日本のマチュピチュ と雲海の写真を出して一大人気になったのを見て、そんならここもできんじゃん!って標高430メートルの地に建つ備中松山城も宣伝を始めたのですが、悲しいかな竹田城の方が断然人気みたい。備中松山城の方が標高高いのになぁ~。
ここ↓が、中太鼓櫓跡。山の下の御根小屋から、ふいご峠の下太鼓丸跡に太鼓で伝令を送り、下太鼓からここ中太鼓に伝令が届き、それをお城へ太鼓で合図を送っていた。江戸時代には天守に足軽4名が留守番をしていたそう。江戸時代は一見平和な時代でしたから使い勝手の悪い山城は完璧象徴になっていたんですね。

下に流れるのが今は水量がほとんどなくなってしまった高梁川だが昔は千石船が就航していた。
水谷家2代目水谷勝隆氏が1642年に備中松山城主となると、高梁川の整備を行い、備中松山藩の飛び地であった瀬戸内海の玉島に港を作り玉島新田、阿賀崎新田、新町堤防を開発し問屋街を形成。そして高梁川にパナマ運河が出来る240年も前に、パナマ運河と同じ工法の閘門式水門をつくったりしている。この水谷勝隆氏の閘門式水門は日本最古に属するが、江戸時代には既に諸藩でこうした閘門式水門が築かれていて日本の技術力の高さに驚愕させられる。
更に、高梁川で必ず荷物を積み替える制度にし、積み荷料を徴収し藩の財政を潤し5万石だった水谷家藩は11万石となった。また千屋鉄山の開発も行ったりした。あまりにも頭の良い藩主の治世により一躍金持ちになっていく藩、こういうの江戸幕府は嫌いますよねぇ。3代目の御世継ぎがいなかった水谷家は甥っ子を世継ぎとして申請し許可されたものの死亡。次は、城主水谷勝宗氏の弟を世継ぎとして申請したら却下され、城を枕に討死する決死の覚悟の水谷家臣たちを大石内蔵助が説得し無血開城となった。甥っ子さんの死、なんかニオう・・流行り病で死んだってことですが。。。

地面には、江戸時代に焼かれたという瓦が粉々になって一部散乱している。太鼓と共につくられていた小屋のものかなぁ? この中太鼓櫓跡に入って左側を見ると、道路挟んだ向こう側に山が見える。備中松山城の雲海に包まれた幻想的な写真は、備中松山城の天守台から山をくだり更に山を登り徒歩1時間ほどでつく位置にあるその山につくられた雲海展望台から撮れるもの。雲海展望台の手前には昔、煙をたいて合図を送っていた高陣があった。

備中松山城で一番感動したのが大手門の脇にあるここ↓自然の岩盤をうま~く利用している。4名いた足軽の寝床とかがある足軽番所があったらしい。積まれた石垣も花崗岩質の臥牛山で採れた石を利用して築城されている。明治の廃城令で壊し、史料も全部処分された為、復元できないんだとか。

国指定重要文化財の三の平櫓東土塀↓は1683年に水谷勝宗氏がつくったもので、山城に現存している土塀としては珍しいもの。この土塀の中には今から400年近く前の土が詰め込まれていると思うと感動ひとしお。四角い穴が矢狭間で矢を放ち、丸い筒狭間からは鉄砲を撃つ。櫓があって見張りとか攻撃をするところだったみたい。

ここ↓が厩曲輪だった場所で、馬を繋いでいたところ。よ~く見ると穴が開いているのですが、それが厩門の跡。凄いなぁと感心したのが、この階段をのぼったところ二の丸までいかないと天守が見えないつくりになっているところ。

復原されたものですが天守に通じる本丸東御門↓本丸内唯一の引き戸で、当時からオートロックだったというその鍵つくりに感心した。夜に戸締り見回りをする時に出てきてオートロックなので鍵が自動でしまってしまうのでL字型の鍵開け棒を持って門外に出て、それで開錠して中に戻っていた。今よりずっ~と昔のお城でこのオートロック門も非所に珍しいもの。

この↓二重櫓は天守と同じ高さにある二階建てで天守同様現存する建物。廃城令の時、山の上でぶち壊すのあまりにも大変過ぎるから壊したことにしよう♪ っとそのまま放置していたらしんですよねぇ(笑) 後に社会の先生に発見されたときはもうボッロボロで崩れ去る寸前だったもよう。
この二重櫓も天然の岩盤を利用している。1階は武器保管庫、2階が物見櫓で、西側は急斜面になっていてギリギリの所に建てられている。石落とし等などが整備されていて攻撃仕様。よく考えているなぁ面白なぁと思ったのが、扉が2カ所ついていて有事の際には天守からここを通って裏側に逃げれるつくりになっている。
ここから下斜め位置に見える相畑の地は、備中戦乱などの古戦場跡で、木戸があって自由に出入りができなかったところで相畑城戸跡と呼ばれている。そして上方の山には神社跡が発掘されている天神丸跡や備中松山城の最初の砦が築かれた大松山城跡などが見える。

城主もくるくる変わるしかなりの激戦地だったみたいですが、山くだった下にしか井戸がなかったんですねぇ。ちょっと不便ですよねぇ。ここから700メートルほど先の備中松山城の最初の砦である大松山城址には小さな井戸跡が見つかっているのですが。
あと水系と言えば、ここから700メートルほど進んだ先に、23メートル×10メートルという巨大な池がつくられている。当時は船を浮かせていたとかなんとかかんとか江戸幕府に送った史料にも載っているそうだが、なんだかよ~わかっていないらしい。
で、下方の大手門の下横につくられた犬走がこの二重櫓のところまで繋がっている。地元の方によると昭和40年代にはその犬走を歩く人がいたそうですが今は道がみえなくなってしまっている。
で、こいつ↓が大人気の猫城主さんじゅーろー。平成30年7月の豪雨の時にガッリガリに痩せた汚~い猫が三の丸に迷い込んで来たので大事に育てたら大人気に。お土産品も猫城主さんじゅーろーグッズばかり。で首札に”城主” って書いてあった(^^; 猫城主さんじゅーろーを見る為だけに備中松山城に来る方も多いと聞いてとっても驚いてしまった。興味関心って人により様々なんだなぁ~って世の中おもろいな~って思った。

これからいろいろして一旦眠ってから続き書く予定。
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