悲しい
【特別増刊】 玉 砕 こちらの記事には アッツ島の戦い について書いてあります。あまりにも絶賛しているだけの物は勇ましいですが、それでいいのだろうか、と思ってしまいます。この【特別増刊】 玉 砕の記事はグッときました。
以下感想??
もう既に日本本土も空襲をうけていた大東亜戦争たけなわの1943年5月、アッツ島の戦いがおこったわけですが、アメリカ軍の当初の計画では3日間で全島制圧するはずだったんですね。米軍が大艦隊を引き連れ現れたのが5月5日、5月12日にアメリカ軍上陸開始。しかし食料や武器弾薬の全てが不足する中、知恵を巡らせ勇猛果敢に戦う日本軍にてこずり、5月29日に玉砕そして米国側資料によると、その生き残りによる日本兵のすべての散発的戦闘が終わったのが6月10日と予定を大幅に上回る戦いとなり、おまけにアメリカ軍戦死約600名、負傷約1,200名の被害までだしてしまった。
なんとも酷いなぁと思ったのが、山崎保代陸軍部隊長は1943年4月18日にアッツ島に赴任したばかりというところ。しかも飛行場を建設するとかでアッツ島に駐屯していた2,650人の内のほとんどの人が土木作業員だったというではないですかい。
アッツ島守備隊は、再三にわたり大本営に兵士、武器弾薬、食料補給を打診していたにも関わらず日本軍は、アッツ島の放棄を発令し、アッツ島守備隊を悲しい事に見捨て見殺しにした。こんな電文すら送ってきている。
"最後に至らは潔く玉砕し皇国軍人精神の精華を発揮するの覚悟あらんことを望む"
死ね!って事ですな。
こんなんだったら、さっさと投降してアメリカ軍の捕虜となり、ぬくぬく生きていけばいいのに、って思ってしまいます。こんなやつらの為に戦う必要ありますぅ?
当時の教育の賜物なのでしょうか??? それとも日本に残した家族やらの事を思い最後まで徹底抗戦を決めたのでしょうか??? それとも、鬼畜米英とあまりにも恐ろしい事ばかり刷り込まれていた為に捕虜になるより死んだ方が断然良いと思っていたのでしょうか??? 徹底的に刷り込まれた ”生きて捕虜の辱しめを受けず” これが原因だったのでしょうか???
情報がほとんど入って来ない中で、鬼畜米英と叩き込まれ、今立ち上がらなければ自分の大切な人たちが殺されてしまう、と信じた当時の日本人。
今、中国に日本乗っ取られていいか? と聞かれたら、何されるかわからないから嫌だなって思うが、この何されるかわからないという事自体が、その根拠となっている情報が、例えば今現にウイグルなどでしているといわれている様々な恐ろしい事すら他国が流しているプロパガンダなのかもしれないし、何が本当なのかよ~わからん。ダライ・ラマ法王は自分だけ安全な所に逃げてきているってのが私の感覚から言うと全く信じられず、胡散臭い。あれ神聖なんかいな??? っと、話がそれたが、
卑怯なずるい事は出来ない、悲しいまでに誠実で真直ぐな生き方。こんな電文すら送っている。
”我が軍は最後まで善戦奮闘し、国家永遠の生命を信じ、武士道に殉じるであろう”
アッツ島防衛隊には純粋な戦闘員は半分もいなかったというのに米軍第17連隊を壊滅し、島奥深くまで入り込んできたアメリカ軍を海岸線まで退けたりしている。29日、戦闘員として動くことが出来ない重傷者に手榴弾を一個ずつ渡し重傷者は自決。
機密書類や無線機を破壊し、出来る限りの損害を敵に与えると決意し、弾薬などすべてなくなっていた為に軍刀と銃剣、それすらない者は棒切れを握り将兵全員約150人一丸となって米軍本部に突撃していったという。あまりの激しさにアメリカ軍の前線は300メートルも後退しアメリカ軍上陸部隊本部まで来た時、猛反撃を受け、アメリカ軍から降伏勧告されたものの玉砕。
降伏勧告されたのだから尚更にさっさと捕虜になっとけよ!! と悲しく思う。写真を見ると深~いそしてとても温かそうな感じのする御方のように思えますがしかしそこらへんにいる普通のおっさんにも見えます(失礼な事申して本当すみません)。山崎保代中将は、代々僧侶のご家庭だったそう。時代が時代なら楽しく笑って暮らしていたでしょうに。

山崎保代陸軍部隊長は、右手に軍刀、左手に国旗を持ち絶えず陣頭指揮を執っていたという。日本国から見捨てられ ”潔く死ねや!” とまで言われたのに、最後の最後まで日本国旗を握りしめていたとは。当時の日本人って凄いですね。しかも最後の特攻の時に ”アッツ島守備の任務を果たしえなかったことをお詫びします。” とまで電文しているとは。
アッツ島守備隊玉砕の遺体の中で、山崎保代陸軍部隊長の遺体は日本軍の一番先頭にあったという。戦闘で陣頭指揮をとり攻撃も一番に受け弾丸で打ち抜かれズタボロになった身体で先頭を維持し味方を鼓舞し遺体の位置まで先頭だったとは。
胸が痛みます。日本軍の損害は戦死2,638名、生存率1%。

米軍戦史では、このアッツ島の戦いについて ”突撃の壮烈さに唖然とし、戦慄して為す術が無かった。” と記述されている。
普通に暮らしていたのに兵士として戦場で散っていった人たち。しかし、当時の英霊たちが、日本人を怒らせるとどうなるかという事を、どれだけの痛みを相手に与えるかという事を命懸けで呈してくださったお陰で今のこの暮らしがあるのだと胸が熱くなる。黙って欧米の植民地になっていたら今のこの生活はとてもないだろう。
英霊たちに合掌。
日本人の優秀さ、真面目さ、一途さに日本政府は甘えていたようにも思う。
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