銘菓うばがもち


永禄12年(1569年) から東海道草津之宿の名物として作られ今に至る うばがもち。徳川家康はじめ、松尾芭蕉、与謝蕪村、近松門左衛門、安藤広重、葛飾北斎らも茶屋に立ち寄り浄瑠璃や浮世絵や文学作品などに登場し全国に広まった伝統のお餅。

うばがもち


化学肥料や農薬未使用の地元草津さんのもち米、滋賀羽二重餅米を使い、厳選した小豆を使用。気になっていた うばがもち を思わぬところから頂けて超ラッキー♪

うばがもち


うばがもち って名前変ですよね?w っというのもこれには黙して愛情と責任感を持ち悠然と誠実に生き切った一人の芯の強い賢い女性の実話から生まれた名称なんですよね。

1568年9月、足利義昭を奉じて上洛せんとする織田信長に徹底抗戦を試みたが力敵わず、近江観音寺城を捨て甲賀に脱出した近江源氏佐々木左京大夫義賢(六角義賢)。

その後、佐々木義賢(六角義賢)は、朝倉、浅井、三好三人衆らと結託し信長陣営をたたきまくり、劣勢を認めた信長と一度は和睦したが、近江観音寺城の奪還などかなわず、1572年からは再びゲリラ戦を開始。1581年4月の信長の伊賀攻めで伊賀を攻略するまで佐々木義賢(六角義賢)の戦いは続いた。

多くの武将がその戦乱の中、命を落としているのだが、彼、佐々木義賢(六角義賢)は生き延び、信長亡き後、豊臣秀吉の御伽衆に取りたてられ1598年3月に天寿を全うしている。

うばがもち


その佐々木義賢(六角義賢)が1568年9月近江観音寺城を捨て甲賀に脱出する際に、3歳の曾孫を乳母”福井との”に鎌倉末期の名刀工である貞宗一振りを付け与え、その曾孫を隠し育ててくれるよう託した。

身を隠し暮らしていた福井との(乳母)は、託された曾孫の養育費を稼ぎ出す為、近江路随一の宿場町でもあり郷里でもあった草津にて、餅を作っては東海道往来の人々に幼児を抱いて売り清貧に暮らした。腹持ちの良いお餅は旅人に歓迎され、旅人の間で福井との(乳母)の作った餅の美味しさが評判になり小さなお店を開き次第に 姥(乳母)が餅 と呼ばれる草津宿の名物となり今に至る。

まぁ単純に考えると名刀貞宗を売り払えば金銭を得ることが出来たようにも思うのだが、美味しく餅を作り売り養育費を稼ぎ出すとは、知恵と根性と信念のある賢い素敵な女性だ。1600年、徳川家康が大阪の役に赴いた際、当時84歳になったその乳母が家康に餅を献上し、家康から流竹葉金(金貨幣)、御親筆『養老亭』の三字額を授けられたほど。

うばがもち


さて、そんなに評判になったというその御味は。。。。柔らかくて口内でとろける感じ。餡は甘〜い。が、嫌な甘さではない。信長の時代からこんな美味しいのがあったなんて驚き。

白いのが出てる、面白い形だな、と思ったが説明書読んだら、はぁーって感じ。変な形にすんなよな、食べづらいわw

というのも福井との(乳母)が幼君に奉じた乳房を表しているとのこと。ちょっとドン引きで、形は普通に作ればいいような気もするが。。。。当時は多分こんな形ではなかったと思うんですよ(笑)


うばがもち

福井との(乳母)に託された曾孫ちゃんは、12歳頃にはお寺に学問に通い始め、更に、京都の富豪が商業を教え込み呉服屋を開かせ呉服屋の旦那となった。2人の男子に恵まれ御家は繫栄し、近江源氏佐々木左京大夫義賢(六角義賢)から乳母が託された名刀貞宗は家宝として伝えられた、という感動的なお話。心がじ~んとする良い話。

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