返信
こちらにコメントをいただきましたが、少し長くなりましたので、ここにて返信いたします。
以下、返信。
〜だから と理由が分かっているなら僥倖です。それを解決すれば評価されるということなのですから。
正当な評価を受けたい、私もそう思いますが、翻って自分は果たして正当な評価を人に出来ているか、私も他人にも分かりません。正当な評価を追い求めると、底なし沼です。己自身で正当と思っていたのに、いつの間にか変わっているなんてことはザラにあるわけです。自分の認知次第で、正当にも不当にもなるのが、ままならないです。
もし本当に不当な評価を受ける理由がわかっているのであれば僥倖です。沼の底に至ったということですから。
男性でも上に行ってる人はすべてを犠牲にしている人が多いです(私の偏見)。逆に不当な評価を受ける人は中途半端な仕事しか出来ていない人が多いです(私の偏見その2)。万人使える時間は等しくあり、その時間をどう使うのか、その姿勢と出てくる結果が物語るわけです。
今となっては男だからと要職につけないという現象も出ています。能力ではないただただ女性を何割おけという話だけで。
女だからと男だからとそれを持ち出す時点ですべてを犠牲にしていないのです。本気でやるのであれば性差で能力ははかれないからです。本当に成し遂げたいことがある人は犠牲にすることも厭わない、すべてを犠牲にする人なら性転換も検討に入るでしょう。それが障害になるのだったら。ゆえに性差を持ち出す時点で他人の評価に逃げているのです。
本気で上に行く人は、文句を言う時間とエネルギーすら惜しいです。
そういった方々がつくりあげている男女平等の世界に男女を持ち出し胡座をかくのは怠慢です。
能力の認められる人は人の見えないところで煮え湯や泥水をすすってます。そしてそれでも歩みを止めずひたすらに進みます。
性差で評価するのは平等の評価とはいえません。能力で評価することが平等の評価です。しかしながら、評価は評価する人によって千差万別です。そのため平等な評価という概念そのものが幻想なのです。
貴方もこの認知の歪みに気づけるといいですね。
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