諦めた


確かに昨日、さんざんしょぼい石垣を乗り越えて侵入するのは楽勝とかほざいた記憶がありますが、こんな汚い水のところ入らん。しかしこんな看板があるところを鑑みると、ここから侵入しようとする不埒者が存するのだろう。しかも、日本語、英語、ハングル語、中国語という4か国語表記だ。まぁ、

皇居東御苑

確かに私は、甲賀の里忍術村で免許皆伝でw 水蜘蛛、そう水の上を水に浸からずに渡るんですわ。この水蜘蛛、している人を見たら内腿に力が入っていないですねぇ、そのせいでどんどん足が両方に開いていき最後には水中に転倒したり、キャーキャー大騒ぎになっているんですなww 見ていれば分かりそうなものなのに次の人もその次の人も皆びしょ濡れww 

そんな中、私は、颯爽と足をクッとキリっと締めスイスイ池の上を渡った素晴らしき格好良い武勇伝がありますが、まぁ縄が空中にはってあってそれを手でつかんでする仕組みだったのですが、本来の忍者はそんな縄もなく身体でバランスをとって水を走り抜けるように渡ったのでしょう。もちろん気前の良い私はコツを後塵に教えてやりましたが。フッ


っと自慢話が過ぎて話がそれてしまいましたがww ちっちぇーちっちぇー、自慢がちっちぇーw っと、そんな私の思惑をぶち壊す想定外の事が起こった。荷物検査を受け、明暦の大火や大東亜戦争中の空襲などにより焼失→復元を繰り返した江戸城の正門である大手門をくぐった私は。。。。ちなみに当時は、大名とかじゃないとここ通れなかったんですよねぇ♪

で、ほんの少し行くと。。。”同心番所” と呼ばれる警備詰所に遭遇。ここで、登城者の監視を行っていたそうだ。しかし言っちゃぁ悪いですがボロい建物ですな。今の人たちのほうがよっぽど良い家に住んでいますなぁ。

皇居東御苑


そして更にほんのちょっと数秒でしょうか? 先に行きますと、今度は ”百人番所” に遭遇。こちらも警備詰所で、なんとここでは、それぞれの組が20人の与力と、100人の同心で構成されている甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という4組の鉄砲百人組が24時間体制で警備していたという。。。さすがに広いですね。

しかしこの ”百人番所” を見て、いくら石垣がちょろくても侵入は難しいなって考えを改めた(--;  当時の人たちもこんな感じで徳川家に骨抜きにされたんですかね?

皇居東御苑


話はここだけに終わらん。なんと更にゆっくり眺めながらほんの数十秒も行くと、”大番所” 登場。これも大手中之門の内側にあった警備詰所で、門に入った♪と思っても、お前、マトリョーシカかよ!! って暴言を吐きたくなるほど門があります(笑) しかもマトリョーシカちゃんのように小さくなっていかないというw どんだけ厳重なんだよ!! っとぶんなぐりたくなったりします。当時の簡素な地図を見ても江戸城の門はざっと60個はあったんですよね。本当は123個の門があったそうですなぁ。。。どんだけだよっ!

で、ここ大番所には、位の高~い武士が勤務していたそうですよ~。昭和43年に江戸時代のころのままに復元したものなんだそうですが、位が高くても当時はこんな小屋だったんですなー。

皇居東御苑

今現在は、江戸城に沢山あった番所のうち、百人番所、大番所、同心番所のこの3つだけ残されている。当時は至る所に番所があったのか、と思うと侵入する気も失せますね(^^;


これ↓が、明暦の大火で焼失し再建された ”富士見櫓”  江戸城にはたくさんの櫓が設けられていたのですが、今現在は、たった3つの櫓だけ残されている。進入禁止になっていますが、当時は将軍様がこの富士見櫓にのぼり富士山や両国の花火や品川の海を眺めたという。。。確かに景色が一望できそうで良い感じですね~。

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そしてここが、あの赤穂浪士で有名な 松の大廊下。

皇居東御苑

ちょうどこの松の廊下の上あたりに、やはり明暦の大火で焼失した直後に再建された防御施設と言われる長方形のひょろ長い富士見多聞があり、その中に入ってみましたが、監視員さんがいましたね~。暗く狭い富士見多聞の格子窓から外を見てみましたが、ふーんって感じでしたね~。

大奥用の調度などの避難所と言われる石室を横目に行くと、日本とチャイナの竹と笹類13種が植えられた小さな竹林があり、竹ってこんな種類があるなんて知らんかったわ~。気に入ったのが、モウソウチクの変種と言われるこの右端に映る ”キッコウチク” 網網のつくりが素敵だな。

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ようやっと来た ”江戸城天守台跡” 江戸城の天守は1606年、黒田官兵衛の子黒田長政が5層建ての日本最高峰51Mの天守閣を造り、続いて1622年、2代将軍徳川秀忠が、黒田長政がつくった天守を壊し新しく天守築き、更に1637年、3代将軍徳川家光が、天守台を修築し、5層6階建ての地上から58Mの日本最高峰の天守を築いた。眺めは爽快だったでしょうね~♪

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1657年の明暦の大火で、江戸城本丸、二之丸、三之丸がほぼほぼ全焼した時に焼失してしまい、天守台だけ家光時代のを模して造られたもの。

これ↓が天守台に登って見た景色なのですが、この一帯は江戸城本丸御殿が、表(将軍の謁見などや幕府諸役人の執務場)、中奥(将軍の日常生活、政務場)、大奥の3空間に別れ存していて、だっーと富士見櫓の方まで全て屋敷や廊下だったんですなぁ。どんだけ広いんだよ!って感じですが、職場と家が繋がってるって楽で良いですよね♪

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奥女中の通用門や御三家・御三卿の出入り口として使われていた平川門通って外へ。この平川門、別名 ”不浄門” とも呼ばれ城内の死者や罪人もこの門から出されていたとの事。このように江戸城址とし存するのはほんの少し。広大な江戸城の敷地も今となっては普通に使われている。諸行無常ですなぁ。。

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