天から遣わされた人


私にとってはべらぼうに入店にハードルが高くとてもとても一人や子連れや女性だけでは入れないすき家に、夫と連れ立ってお昼に行ってみた。そうでもしないと入れるチャンスないですからね。夫はすき家好きなんですわ。

もう無理して肉食するのをやめたので、はて食べれるメニューが限りなく少ない(笑) って事で、カレートリプルニンニクMIXのミニ、冷やっこ、高菜明太子、お味噌汁、カットりんご、と頼んでみた。

すき家

なんて気前がいいんだ、ミニって言っても普通のカレーの量と同じじゃんか! はて見渡すと。。このお店では巨大な器が普通サイズなんだね。で ニンニクの芽、素揚げニンニクがゴロゴロ丸ごと入っている上に更に特製ニンニクスパイスというニンニク尽くめ。いやぁ~美味しいね~で、辛い。なんとカレートリプルニンニクMIXミニを3分の1とお味噌汁数口だけでお腹がいっぱいになった。

ご飯に対してカレー比率が異常なほどに多いのを好む私は案の定、ご飯だけ余ったので、残ったご飯に高菜明太子をかけて美味しく食べた。食べきれなくて手つかずの 冷やっこ は食べてもらったが。

で、サービスでついていたブレスケア。

すき家

口に入れてすぐミント感でいっぱいになった。しかしブレスケアは最強ではないようだ。あれだけニンニクをごろごろと沢山食べたからだろう。夫に 「すっごいニンニクのニオイだー」 と言われたw 夜になっても 「ニンニクのニオイすごいね、まだする」 って言われたw  って事で、このカレートリプルニンニクMIXは食べる時間やスケジュールを確認の上、注文するメニューなんだね~。ブレスケアではとても太刀打ちできんよ。まっ、夫が犬並みの嗅覚を持っているのが原因なような気がするが。


すき家のメニューにのっていた大伴家持のエピソード↓ うなぎ って言うと、平賀源内が閑古鳥が鳴く鰻屋さんのために一計を案じたw だけの実は捏造話などとの説も有名ですが、実は奈良時代から栄養価が高いと歌われていたんですよね~。

すき家

大伴家持が友人である石麻呂に下記の歌

『石麻呂に 我もの申す 夏痩せに 良しというものぞ 鰻とり食せ』

を詠んだと載っていますが、このすき家さんの書き方は優しいですね。痩せっぽっちでガリガリだった友人の吉田石麻呂に友人が大勢いる前で 『石麻呂に 我もの申す 夏痩せに 良しというものぞ 鰻とり食せ』 とからかう歌を詠み、皆で大笑いになった。

酷っぇーーーー!! 家持って性格悪くねっ!? 嫌な奴!! って思いません!?


あっ、ちなみに家持さんは、神話時代以来の武門の名門大伴家の長男であり、冗談好きな明るく楽しい青年で友人の人気者の上、歌がうまく女性にもモテモテ。なにしろこの当時だけで20人近くの女性と付き合っていたことがほぼ確実となっている(゚O゚; しかもなかなかの家柄の女性ばかりと。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いで人生を謳歌する家持さんは、

宮中での仕事が終わり10数人の仲間と連れ立ってお酒を飲む席で、上記の歌を友人である石麻呂に詠った後、続けざまにというか追い打ちをかけるように下記の歌を石麻呂に詠んでいる(゚ロ゚;)


『痩すも痩すも 生けらばあらんを はたやはた 鰻をとると 川に流るな』(でもまっ、痩せてても生きてればいいっか、鰻とろうとして軽すぎて川に流されたらそれこそ終わりだからねww)

ますます家持、嫌な奴って感じに思えますねぇ。。。


ところがこの頃の歌の席って私が知る限りこんな感じなんですよねぇ(笑) 多分暇だったからだと思うんですよ?w 今の感覚でいうと冗談が変っていうかw 頭を傾げたくなるような趣味が悪いというかw

そうそう額田王は大海人皇子と子どもまでもうけてますが、離縁して大海人皇子の兄である中大兄皇子(後の天智天皇)と結婚してますが、夫である天皇や、王侯貴族や廷臣などのその事情を知る宮廷人が集まる宴席で、大海人皇子ときわどい恋の歌を詠みあっていてそれを皆で楽しんでいるという。変態って言葉がピッタリの様なぁ~、好意的に見て、碌な娯楽もなく暇過ぎたんだろう、って解釈するしかできんですわ( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


ちなみに、モテモテ家持の彼女の一人である紀女郎が家持に贈った歌から、家持はかなりの痩身だったことが読み取れる。痩せっぽっちの友人の石麻呂をからかって皆で大笑いした歌を詠んだ張本人の家持も実は瘦せていた、という(笑)(笑) ヤバイ、私も万葉の頃のギャグが通じるww まぁ石麻呂も一緒になって大笑いしてたようですがw



越中守として現富山県に赴任した家持は、彼の生涯で作った歌のうちの半分近くをこの地にいる5年間で作っている。近代の平城京祭りでは、女帝や貴族の衣装のショーとか、当時の貴族の仙女のような色とりどりのヒラヒラした素敵な天平衣装体験とかもやっているようだが、家持が34歳で奈良の都に帰る前に、越中の国守として国中をみてまわったところ、

農民たちは破れてボロボロになった衣服をひっかけ、竪穴式住居に住み、地面に藁を敷いて眠る生活に目を疑った。そして農民たちは、育てた稲を秋に収穫すると、租稲として上納せねばならず、食うや食わずで生きても春までには食料が底をついてしまう生きるか死ぬかのギリギリの生活。春には公出挙制度によって、官稲を5割の利息で借りて収穫まで食つなぐ事が可能になるが、秋の収穫時に5割の利息をつけ返済+租稲も渡さなならんとなる、そんな暮らし。



民衆の現実の生活を知ろうとする家持のこの行為は、父旅人の友人であった亡き山上憶良が導いたように思える。”子等を思ふ歌”では、父母妻子を捨て私度僧になるのを戒め律令政治の維持を思う忠実な官人でありながら、”貧窮問答歌”では、困窮する極貧の民衆の苦悩、悲哀、父母妻子を養おうにもまともに養えない貧しさ、権威を笠に着た里長の横暴に怯えながら暮らし、逃亡すればするで見せしめの為に厳しい処罰をされ逃げる事も出来ず追い詰められた絶望的な心理、らを貧窮者の身になって歌にし、世の矛盾、社会のひずみを告発した憶良。だが世の中を変えられなかった。臨終の際の最後の歌が 『士やも むなしくあるべき 万代に 語りつぐべき 名は立たずして』 だった。



兵部省の最高責任者となった38歳の家持は、各国の引率役である部領使に防人たちに歌を作らせるように命令を出し、東国から強制徴集された防人たち、あの貧窮ばかりの農村から家族をおいて3年間、家をあけねばならぬ東国の防人たちの歌を各国の引率者から受け取った。約半分はあまりにも拙すぎる歌だったため拙劣歌とし削られたが、他は万葉集に残っている。病気で寝込んでいる農民が里長に防人に指名され事情説明しても許されず病を押して防人として徴集されたり。

防人たちは難波までは手弁当。そこから船で大宰府まで連行され、離島や海岸などに配置される。自給自足で食料調達するよう土地を耕さねばならず農業をしながら外国軍の襲来がないか監視を続け、事あらば大宰府に通報し戦闘態勢が整うまで、外国部隊の上陸をくいとめとけっ! っという役目。せいぜい斧とか矛とか弓とか刀とかで。一度防人をすると3年間は免除になるそうだが4年目にはまた指名されるかも。


家持は、自分の思いをうまく表現できない防人たちになりきって歌を作った。それはまるで生前の山上憶良が、”貧窮問答歌” で民衆になりきって彼らの心情を歌に詠み世に問うたのと同様に。家持が防人歌をまとめた2年後、東国の人を防人に指名するのは中止となった。憶良が天から力添えしたに違いない。


山上憶良は、あまりの学識の深さに遣唐使に抜擢され、皇太子の教育係である東宮待講やその後も官人として生きたが、その出生や前半生が謎に包まれている。私は、彼の生き方を思う度に、憶良は、見るに見かねた至高の存在によって天から遣わされた者なのではないかと思ってしまう。



世界中にどこにもないといわれる当時の困窮する農民や乞食の歌までもが載る万葉集は、貧窮者、弱者に目を向け心をくだき世に訴えた山上憶良、その遺志を継ぐように動いた大伴家持の存在があったからだ。

そんな内容のを歌にして赤裸々にわざわざ公表するの!?っと驚くばかりの様々な人たちの魂の歌や、美しい花鳥風月を愛でる歌や やるせない深い心情を詠んだ歌、そして困窮する農民や乞食の歌までもが載る万葉集は、今でいう 2ちゃんまとめサイト とか togetter みたいなもんだ、と私は勝手にそう認識している。真面目な学者さんの怒りを買うかもしれんが。 
*懸命に生きた先人たちに合掌*

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