源之丞


大阪の陣で2代将軍徳川秀忠を守り7人の敵を瞬時に斬り、柳生新陰流の名を世に轟かせた柳生丹馬守宗矩。宗矩臨終時の希望により、1638年に開基した柳生家代々の菩提寺 に向かう橋↓ 素敵な橋なんですわ。下を流れる川の水も澄んでいてとても綺麗! 今は杉が植林されているけれども、嘗てこの古楓橋から芳徳寺へのぼる坂の途中には柳生石舟斎の屋敷があった。

神護山芳徳寺


んん~、なんかしびれる~(*ฅ́˘ฅ̀*)♡ 剣を携えこの道、通っていたのかと思うと感動。落ち葉に埋もれた下には石畳が残っている。

神護山芳徳寺


柳生石舟斎の屋敷の離れには、石舟斎をもまた十兵衛をもしのぐほどの剣の使い手とも言われた柳生源之丞が2年ほど暮らしていた。柳生源之丞は石舟斎の4男、柳生五郎右衛門宗章の子だが、柳生家の記述、系図には載らず抹消されている(((º▽º ;;) 柳生の地の者に語り継がれている人物でそれ故にこの辺りは源太夫屋敷と呼ばれている。何があったーーーー!!って感じなのだが。。。。ここでは私がなんか好きで気になってしまう源之丞について語ろう。

父柳生五郎右衛門宗章が廻国修行中に出来た子である源之丞は、母親が病死したことにより10歳で初めて父宗章と対面。剣の指南を父から受け天才的に上達した源之丞。父宗章の主君であった備前岡山城主の小早川秀秋が没し小早川家が廃絶。その後、父子で身を寄せた横田内膳が、主君である伯耆国米子城主中村忠一の手の者により殺される。

中村側と横田家一族郎党との戦いが起こり、忠実で義理深い父宗章は横田家の一員として奮戦し壮絶死を遂げる。戦いの前夜、宗章は息子源之丞(17歳)を柳生石舟斎の元に逃がした。

石舟斎に天才と言わしめるほどの剣の才を持つ源之丞は、石舟斎から徹底的な指導を施され型を矯正された。石舟斎の教えにそむき奈良市に出向いた事やイチャモンをつけてきた坂崎伴内をやむなく斬り殺した事が石舟斎にバレ勘当される。執拗に命を狙いにくる裏柳生を倒し剣の腕を更に上げながら母の故郷若狭小浜に到着。春がくる頃、石舟斎から密命を受けた柳生兵庫助利厳と剣を合わせ、「柳生の剣ではなく独自の進化を遂げた剣なので殺す必要無」 と許され、その後の源之丞の消息は定かでない。新流派を立ち上げたとか山伏になったとか何とかかんとか。

活人剣をもろ実践する柳生兵庫助利厳は格好良すぎてたまらんが(*´˘`*)♡ 柳生源之丞もな~んか好きなんですわ~。祖父石舟斎とは相容れず憎しみの念すらむけられていたような気もする源之丞だが、父親には間違いなく愛されていたと確信できるところが救われる気がする。あまりにも卓越した剣の腕を持つ源之丞の身を父親は早くから案じてもいた。

神護山芳徳寺


これ↓が柳生家代々の菩提寺である神護山芳徳寺。以前から宗矩と深い親交があった沢庵宗彭が神護山芳徳寺と命名し開山。宗矩の遺言で4男六丸(11歳)は、京都紫野の大徳寺の天佑和尚の弟子となり、その後、柳生家菩提寺芳徳寺の第一世座主となり列堂と号した。良い話だわ~って感じなのだが。。。。実際の列堂は、「手にあまれば押し込めるなりうち捨てるなりいたせ」 と江戸柳生当主宗冬が遺言状にしたためるほど荒れた生活を送っていて朝夕の看経すらしなかったという(--; ビビる。。。

神護山芳徳寺

後醍醐天皇を笠置山に迎えてからは朝廷の間諜として働き、家康の兵法指南役となってからは徳川家の諜者としての役目もはたしてきた江戸宗家だが、44歳の柳生列堂は芳徳寺を飛び出し柳生谷に根城を構え、その江戸宗家を脅かすほどの勢力の柳生忍群を組織。世に聞く裏柳生とは実はこの事だとか。ちょっと悪っぽいところがなんか格好良い気もするが、しかし・・・坊さ~んヽ(´~`; ォィォィ 煮えたぎり燃え盛る留める事の出来ない流れる剣の血が溢れだしてしまったのだろうか。

拝観料一人200円。門入り口にあるお賽銭箱に入れてから門をくぐる仕組み。これはいつ頃、作られた看板なのだろう。相当の年代物だ。

神護山芳徳寺

この看板から左に行き建物に添うように歩いて行くと、”歴代住職塔所” とそこから更に下に坂をくだった正面には ”柳生家墓所” がある。柳生家のお墓80数基がたちならぶ ”柳生家墓所” は何か感動的だった。本当の昔の昔の古いお墓ってこういうのなんだぁ。。って実に壮観。深い時の流れを感じた。墓石の一つ一つも墓所を囲む土壁の崩れ具合も風化して傾いて削れた瓦屋根もただただ圧巻。

先ほどの看板の所に戻り看板から右手に行くと芳徳寺本堂の資料室がある。戸が開け放たれていて自由に入れる。これが凄い充実度だった。

神護山芳徳寺


甲冑鎧、柳生藩札、柳生藩印、柳生宗冬の刀も展示されてた! 5巻の印籠巻物とかもう本当に年代物で広げて見たい衝動にかられましたね。柳生新陰流竹刀や柳生杖、短冊 掛け軸などの他、血判つき柳生藩一般稽古人起請文とかマジで血ついてるんですわ~、あとは広げた巻物には柳生新陰流の型、身体の構えなどの図解入りのもあって見入ってしまった。あ~感動的だわ~。

こちら↓お堂には、”列堂和尚木像” ”沢庵宗彭禅師木像” ”柳生但馬守宗矩公木像” が鎮座していてみることができる。廊下には古い年代物の木札に ”無言” と書かれている。厳粛な気持ちになる。沢庵和尚はかなり頓智の効いた人って印象なのだが、列堂和尚の真実は如何に!? マジで裏番ならぬ裏柳生の暴れん坊だったんですか~い? 格好良いけどさ。

神護山芳徳寺

激動の時代を生き、日本国の礎を築いた先人たちに合掌。

↓もしよかったら押してね↓
  ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ : 主婦の日常日記
ジャンル : 日記

Profile

はーとまいんど

Author:はーとまいんど
ブログタイトルのあまりのヘボさに我ながら辟易していますwヘボいブログタイトルの大壁を乗り越えご訪問いただく方々を尊敬しています。いつもありがとうございます。

カレンダー
02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
スポンサーリンク

Search form
最新記事
Category
Monthly archive
Latest comments