古城跡


鎌倉幕府討幕計画を側近の吉田定房が六波羅探題へ密告した為、1331年9月、後醍醐天皇は京を脱出し笠置山に逃れた。笠置山の僧 中坊源専は、柳生播磨守永珍の弟。この元弘の乱の時、柳生播磨守永珍は、ここ柳生古城に陣をしき笠置山への糧食の調達を行った。なにしろ柳生古城と笠置は道が繋がっていたんですね~。このロードは柳生の殿様が通る”殿様街道”だったんですって。なんか素敵ですね~。

この木の階段は後年に作られた物だろうがなかなか急な階段。では柳生古城跡にのぼってみよう。

柳生古城跡2020


冬だからだろうがかなり寒い。この石段は当時のものだろう。

柳生古城跡2020


幕府方7万5千に対し後醍醐天皇方3千余という兵力差の中、南一の木戸の将として木津川方面からの六波羅勢と戦った中坊源専ら。10月29日には、小柳生に六波羅勢が到達し、柳生播磨守永珍は戦死者も出しつつ戦ったが、翌日笠置山落城。

柳生古城跡2020


北条市に謀反した事で、この辺りも含め累代所領を没収されてしまった柳生家だが、没収だけで済んで良かった。。。それから3年後の1334年、建武の中興により、笠置山の戦功という事で中坊源専に柳生旧領が与えられるのを兄柳生播磨守永珍に譲り柳生家は領土を回復した。が、その後も応仁の乱、戦国時代と続き、もう生き残りをかけた奪い合い勢力争いばかりで。。。。

柳生古城跡2020

そういえば松永久秀が自身と共に爆破したとか打ち砕き信忠に送ったとか言われている茶釜平蜘蛛は実は偽物で、本物は久秀の断金の友、柳生松吟庵に贈り、以後、松吟庵が代々これを重器として伝えている、との事だが。。真相はいかに!?

で、10分もしない内に↓本丸に到着。あの屋根は近年作られた休憩所。

柳生古城跡2020


どれくらい前に建てられた木看板なのだろう。この朽ち果てっぷりが凄い。何も読めんです。

秀吉が天下を取り落ち着いたと思ったら太閤検地で、隠田を密告され所領没収。文無しになっちまった柳生家。なんでも長年、柳生家に恨みをもっていた人が密告したとか。

柳生古城跡2020


しかし剣に磨きをかけ無刀取りを完成させた柳生宗厳が1594年に家康と対面したのを機に江戸時代が終わるまで柳生家は徳川家にとってなくてなならない存在として隆盛した。柳生新陰流には忍術者の弟子もいたそうで、陰に陽に徳川家を支えたんですね。どんな状況下でもくさらずに己に磨きをかけ続ける事、自分だけは自分の事を見捨てない事、柳生宗厳(石舟斎)の生きざまが語っている。

柳生古城跡2020

とおく向こうの端には、十三振の日本刀が奉安され剣の霊を祀る剣塚がある。剣塚を更に奥に進むと笠置山へと続くが今は行き止まりとなっている。大切にこの地が保存されている事が嬉しい。懸命に生きた先人たちに合掌。

↓もしよかったら押してね↓
  ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ : 主婦の日常日記
ジャンル : 日記

Profile

はーとまいんど

Author:はーとまいんど
ブログタイトルのあまりのヘボさに我ながら辟易していますwヘボいブログタイトルの大壁を乗り越えご訪問いただく方々を尊敬しています。いつもありがとうございます。

カレンダー
01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
スポンサーリンク

Search form
最新記事
Category
Monthly archive
Latest comments