悲しい地
隙間時間を利用し行ける所には行くぜっ! 勇ましい?言葉とは裏腹に、厳粛な気持ちで近くにあった横綱町公園に足を踏み入れた。関東大震災の時にこの公園に逃げ込んだ38000人もの人々が火災旋風に飲み込まれ一瞬にして亡くなったという悲しい土地。立派な納骨堂や慰霊塔が建てられ安置されている。”関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑”もある。

”東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑” この碑の内部には東京空襲で犠牲になった人の名簿が納められているとのこと。凄く印象的だったのが、この碑の前にある看板を読み、石段に座りずっーとこの碑を見つめ続けている大きなバックパックを背負った一人の若い白人男性がいた。穏やかな優しそうな顔でいつまでもこの碑を見つめ続けていた。

東京復興記念館。一瞬にして大勢の人の命が露と消えた大震災と空襲。震災による火災で溶け変形したガラス容器、高熱で溶着し固まった釘の山、タイプライターの焼け残り品etcの災害現場から発見された数々の展示物。災害の様子や人々の姿が映る当時の写真などが整然と展示されていた。

関東大震災後、オーストラリアやアメリカやフランスから贈られた医療用具や台所用具や作業服らが展示されていた。救援活動に駆けつけてくれた時のフランス国旗も。
カナダ、イギリス、ニュージーランド、中華民国、イタリア、スイス、スウェーデン、ドイツ、なども食料品やら木材やら様々な支援物資を送ってくれたんですよね。いい人たちじゃぁないか!! その後の世界情勢が惜しまれてならない。
震災復興展覧会の出品募集ポスターや震災記念堂建設資金寄附募集ポスターなども掲示され付随する様々な作品が展示されていて、特に震災を描いた子どもたちの絵は様子が良く分かり子どもの絵って凄いなぁ。
上の階の戦災展示コーナーでは当時、国民が持っていた様々な手帳や通帳や配給切符なども展示されていた。

一番驚いたのが疎開した都会の子が、田舎の子にいじめられるから縁故疎開にしてください、等と親に綴った手紙があって(-_-)ウーム いじめってのはなくならんのかね?

場所は変わって、江戸東京博物館。ここは時間の関係でさっーと流し見したんだけどもスッゴイ人だったなぁ。あっ、これ↑は展示物のお人形だから(^^; 入場客がいっぱいって事なんですが、言われなくても分かりますよね!?w

さらさらと流すように歩き見する人が大半の中、旅行中だろう思われる白人男性は、一人で来ていて説明音声を聞きながら真剣な顔で無言で展示物をじっくり見ながらゆっくり進んでいた。

一つ、ふーーーーーーん。って思うことが有って。。。集団で来ていたチャイナの人たちだろうねぇ。。。15人位はいたのではないだろうか、東京大空襲や学童疎開の写真やらの展示物の前で、館内に響き渡るくらいの大声で嬉々とした様子で喋りまくり皆で写真をバチバチーそう東京大空襲でめちゃくちゃになったコーナーだけ、他のコーナーはつまらなそうに素通りしているのにー撮りまくっていて、興奮して喋りまくり写真撮りまくりたむろしていて動かないんですよ。言葉ばっちり分かればなぁっと自分の不勉強さを嘆いた。私がひねくれているからそのように映っただけなのかもしれないが、様子を見る分には喜んでいるようにしか見えなかった。
遊就館でも、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑でも、江戸東京博物館でも 欧米系の白人男性は厳粛な面持ちで真剣に見ていて同じ心を持った人間なんだと感じたが、ご近所さんで同じ黄色人種で仲間なのに。。。。人の不幸を喜ぶような国の人とは根本的に何か違うような姿形は似ていても永遠に分かり合うことはないようなそんな印象が心にえぐるようにすりこまれた。
そうか。。。自分からわざわざそういう施設に外国から来て一人じっくり見聞を深めるのを好む人と、旅行ツワーに組み込まれているからという理由だけで興味もないのにただ来てる集団の人達、との違いなんですね。多分、興味もなく暇な中、衝撃的な写真を見て単純に興奮しちゃってパリピ気質発動して喜んじゃっただけなのだろう。きっと悪い人たちではないのだろう。あちらの国にだってまともな良い人もきっと沢山いるはず。そう結論付けたら心がほんわかした。

