らち
以前、仲間内で北朝鮮拉致について話していた時、「拉致される確率は日常で交通事故にあう確率より低い。大多数の国民の生活を命を犠牲にして助けるのはどうかと思う。拉致されたのは運が悪かった、と諦めてもらうしかない。」旨の発言をする人がいた。
99匹の羊をおいて迷った1匹の羊を探しに行く、幼い頃にカトリック教会にてシスターからその話を聞き心の奥深く印象に残っている私は、上記の拉致に対する解釈は自分の中には皆無だった視点をみせられて視野が広がった気もした。
実際国民の命を一手に預かっている立場だとしたら、粘り強く交渉していく、という決断に方針になるのも致し方ない事なのだとも賢い選択なのかとも思い唸ってしまった。
拉致被害者で帰国できた人もいるのだから実際は見捨ているのではないし精一杯やっているのも分かる、自分がするより余程よく国家運営がなされているのも事実。だが、常識の通じないとんでも国家や組織に拉致られたりしても日本国は国民を助けにきてくれない、口で「返してくださいよ~」と言う程度で事実上 見殺しにする国だ、と私は認識してしまっている。何かあった時も助けはこない国と覚悟している。しかしこれで国“家“と言えるのだろうか、といつも自問している。 あっ、ちなみに私はウマルさんには興味なし!(^^;
池田欣一氏のご冥福をお祈りいたします。

