悲話
大和高田の宿の長者磯禅師の娘として生まれ、京都で白拍子名手として人々を魅了する美しい娘。義経に見初められ愛妾となった静御前の塚(静御前の墓跡)に寄ってみた。ここは、静御前の母(磯の禅尼)の生誕地と言われている。そして更に、諸説ある内の一説ではあるが、静御前の終焉の地とも推測されている。

頼朝に追われ 義経と家来達と正室郷御前と共に逃げた静御前だが吉野山で義経に「京に帰れ」と言われ沢山の金銀類と護衛の男をつけられ別れたものの、その護衛の男に財宝を奪われ初冬の吉野山中をさまよったという悲哀の女性。。。酷いよなーその護衛の男。護衛してないし。多くの人を魅了し義経にも愛された美しい静御前を前に金銀を盗んで逃げただけなのかは甚だ怪しい、凌辱しないわけがないという説も( ᵕ_ᵕ̩̩ )
そして吉野の僧兵に捕らえられた静御前は、京の北条時政(政子の父親)に預けられ、その後、鎌倉へ送致。その地で静曰く”義経の子”を出産。頼朝の命により生まれたばかりのその子は由比ヶ浜に沈められたという。。。。

出産から2か月後、傷心のまま京へ戻ったところで消息不明となりその後、諸説定かではない。

悲哀の人生を歩んだ彼女の人生を語るかのように 細い道路が前を走る 住宅と住宅の狭間の小さな敷地に存在する静御前の塚は、猫か何かの糞尿の臭いがしてハエが飛び交っていて残念でとても物悲しかった。
静御前の塚から1分ほどで行ける大中公園にも静御前記念碑などが建っている。↓大中池に浮かぶ本格的な能舞台の桜華殿↓

しかし義経に関わった女性は皆とても悲惨だ。義経の正室郷御前(河越重頼の娘)は、結婚後、約8か月で義経が頼朝に勘当されるわー、結婚後1年もしない内に義経は妾をとるわー、結婚して約1年2ヶ月後には父親(河越重頼)や親戚が領土没収や誅殺されるわー、潜伏先で出産せざるを得ないわー、結婚後約4年7ヶ月後、義経により幼い娘と共に殺害されるわー、で結婚しなければなーーーーー!!としか思えない結婚による人生破綻ストーリーのお手本のようになっていて悲しい( ˘˘̥ )

義経の第一の妾である蕨姫も哀愁漂う。平時忠の先妻の娘であり23歳とも28歳とも説がある当時としては婚期を逃していた蕨姫を(現妻との子は渡したくないからとか何とかかんとか)義経に差し出したとも(--; 誰かに大切にされ愛されたことがあったのだろうか。。。。20歳過ぎまで生きてこられたという事が誰かに愛された証としか言えない所が辛い。消息不明らしいから義経が逃げた後ひっそりと幸せに暮らしたとただただ信じたい( ᵕ_ᵕ̩̩ )

これ↑の一枚前の写真にあったように ”危険” と書いてあるのに、わざわざ危険地帯に誘い込むかのように下に降りられるようになっている謎の石段。上記3人の女性の人生を暗示するかのようだ。

錆び切ったボロボロの ”しずかばし” が哀愁を誘う。

しかし上記3人の女性の誰か一人でもが時流を読み策略陰謀深慮を張り巡らせ頼朝すら手のひらで転がし夫義経優位にうま~く導ける鋭敏でずる賢く腹黒い女性だったら歴史はまた違っていただろう。残念無念なり!! 数奇な運命の中、懸命に生きた彼女たちに合掌(-∧-)

