進化

第一印象・・・なんかぁ和歌山城の石垣はなんだか雑。。。こんなんでいいんか???? こんなん普通にのぼれるじゃんか(^^;

お城にのぼる坂の入り口にある石垣の裏側。外から見ると雑な感じの(ごめんなさい)登れそうな(^^;石垣なんだけれども裏にまわってみると階段状になっている。そしてこの木の根っこが凄い!!と感動した。この階段は敵の襲来を迎え撃つためのつくりなのだろうか?

木も石垣もお見事!! 自然の芸術だわ\(^o^)/
忍者装束を着た人の手裏剣体験らしき御店???会場???がこの石垣のむこうっかわ(表側)にあったけれども、呼び込みするでもなくただ立っていたのが印象的だった。まぁ下手すると呼び込みウザくなるから来るものは拒まず去る者は追わずでお互い楽でそういうやり方もありですよね~。

こういう石でこういう組み方あるんですね~。この道の途中に溝があるのが敵の襲撃を足止めするのに役立つと聞いた。人気(ひとけ)がまるでなかったが、上から忍者装束のスタッフらしき人がおりてきて、愛想よく笑顔で挨拶してくれたのでなんか安心した。

極々まれ~に人とすれ違うくらいなので静かにゆったり散策できる。所々で忍者装束の人が一人で歩いていて爽やかな挨拶してくれる。あの左手上部に見えるのが天守閣撮影ポイントだと看板が出ていてかなり急勾配の石階段をのぼった。

さすが”天守閣撮影ポイント”と銘打っているだけある。完璧な眺めだ。おまけに人っ子一人いないからこの場所独り占め♪♪

やっぱりどうも石垣の雑感は否めない。。。

しかし雑な石垣だこんなんでいいんかいな。と思いながら歩いていたら、もっとしっかりした石垣もあって んんん???? と思ったら石垣の説明の看板があった。
時代によって石材や石の積み方技法が違く、和歌山城は、3種類の石垣、工法や技術の進歩を観れる貴重な場所だった。私が散々、雑だとディスった石垣は、切り出した緑泥片岩を加工せずそのまま積んだ”野面積み 別名=牛蒡積み”という技法で豊臣秀吉の時代の石垣工法だと知った。石垣の最高の高さは約10Mだそうだ。

関ヶ原の戦い前後から江戸時代初期、浅野幸長が和歌山城主だった時代には、和泉砂岩を石が平らになるように荒く加工し大きな石の間に小さな石をはぎ合わせ隙間を減らして積んだ ”打込接ぎ” の技法が用いられたらしい。豊臣秀長から浅野幸長時代に積まれた石垣石には刻印された石が多くみられるのも面白い。

石垣の上部の反りの形状から想像するにのぼるのがなかなか困難そうな石垣手法 ”扇の勾配”もこの打込接ぎ技法の登場により作れるようになりこれによって最高30Mもの石垣も作れるようになったそうだ。

これは下部と上部で明らかに違うな~。

徳川時代には、成形した花崗岩巨石を精密に美しく積んだ ”切込接ぎ” へと進化したとのこと。

これも切込接ぎだなぁ。少しお利口になった\(^o^)/
ホンのちょっと知識を得て石垣ウンチクを得意げに披露できるようになったのも全部城内にあった看板のお陰だ(笑) 無知でも楽しめるようにしていただいて有難うございます。サルから人間に進化した気分♪(* ´ ▽ ` *)