近鉄古市駅の辺りは古墳が多い。そして、駅から徒歩10分ほどのところには ”旧石器人のアトリエ” という、えっ、何何?? っと想像力たくましくなってしまうお洒落な名称の地がある。それがここである。到着した瞬間に、えっ? と一瞬なった。だってぇ、手前の植木を見てみてくださいよぉ。この木↓がアトリエ???? んん? ただ生えてるだけやん、アトリエ??? 疑問がわきあがってきてしまう衝撃からこの身をなんとか持ちこたえさせ公園内に歩を進めた。
あのへんてこな形の、そうですねぇ、風の谷のナウシカのオウムを思い出させる形のモニュメントの向こう左はスーパーがあり、右手、あの家々の右側には府営団地がデンデンと建っていて、”旧石器人のアトリエ” を眺めていることができるのだが、誰も眺めている人はいなかったし、公園内にも誰もいなかった。

ちなみにあの風の谷のナウシカのオウムが想起されてしまうモニュメントは、石器をつくるために割った岩石・サヌカイトをイメージしてつくったらしい。

んんんん、、、、”旧石器人のアトリエ” って言い方は御洒落だが、しょっぼ!!
そして、まさかの、この植木↓もアトリエとナンバーがふってある。単なる植木やんかーーーーい。


んん~、、、ショボ!!ってしか浮かんでこず失望は免れないが、いったい私は何を期待していたのだろう。冷静に考えてみると、氷河期にあたる旧石器時代は、約250万年前~15万年前にあたる前期旧石器時代、15万年前~3万5000年前にあたる中期旧石器時代、そして、約3万5000年前~1万年前にあたる後期旧石器時代に分類されている。
前期石器時代は猿人や原人が生息していた。猿人や原人ですからね~。そして、中期旧石器時代はネアンデルタール人いわゆる旧人と呼ばれる人たちが生息していた時代だ。後期旧石器時代になると、ようやっと我々現生人類と同じ種族であるホモ・サピエンスと呼ばれる新人の時代に入る。イメージ図としてはこんな感じ↓ですかな。

向かって左側が猿人、右側が旧人いわゆるネアンデルタール人。次にようやっと我々と同じホモ・サピエンス新人の時代に入る。
そして、ここ翠鳥園遺跡、御洒落に言うと”旧石器人のアトリエ” は、後期旧石器時代の遺物である。進化してホモ・サピエンスになりたての方々ですからね、身近にあったもので少しでも暮らしを楽にするために考え出した石器、切ったり、剥いだり、叩いたり、掘ったり等々をより楽にしやすくするために石を加工した。冷静に考えると単にショッボ!とは言えなくなってくる。。。ウーム
後期旧石器時代の遺跡は日本列島の北海道から九州にいたるまで発見されている。が、この翠鳥園遺跡~旧石器人のアトリエ~は、何がすごいかと言うと、後期旧石器時代の石器づくりの様子が生々しく遺されていた遺跡で、ふ~ん、石器ってこうやって作ってたのかぁ、ふ~ん、とわかるものだから、だそうだ。旧石器時代当時のままで現在に残ったアトリエはここ翠鳥園遺跡の他に例がないとかなんとかかんとか。

旧石器時代の石器の材料は、北海道と関東地方は黒曜石、東北地方は貢石、西日本ではサヌカイト、九州地方はサヌカイトと黒曜石の利用がわかっている。それぞれの地域で産出できる素材、産出できない素材があるので、それぞれの地域で最適な物を活用したのだろう。サヌカイトは、約1200万年前~1500万年前に二上山が噴火した際に出来たガラスのように鋭利な縁辺をもつ岩石で、旧石器時代から弥生時代まで利用されてきた。二上山博物館でサヌカイトがお土産として売られていたのを思い出す。買わんかったけど。サヌカイトは、羽曳野市東部に位置する香芝市の二上山の北麓地域で主に産出される。
翠鳥園遺跡~旧石器人のアトリエ~では、サヌカイトが38か所に集中して存在していた。石器や加工の際に出た石の欠片など約3万点が発見された。集中部34という場所だけでも2000点の石器が発見されている。なんでも旧石器人のアトリエとやらは、大きく分けて9グループにわけられ、1グループあたり2人~3人で石器づくりを行っていた、という推測もあれば、座った場所が1か所ずつ確認されていることから、それぞれがその集中部で石器づくりを行っていた、という説もある。翠鳥園遺跡~旧石器人のアトリエ~では、約2万年前の後期旧石器時代から縄文時代早期にかけての石器が発見されている。
そうやって冷静に見てみると、アトリエとか言いながらこれ植木じゃんか、ショッボ!と思った木も、38か所の石器づくりの作業場の1つだったんだなぁ~と温かく見ることができるようになる。クククククク

さらにもっと冷静に考えてみると、当時はまだ氷河期ですから、地球温暖化(笑) と騒がれている現代とは違う寒冷気候であり、動植物からして今現在とは状況が違うはずだ。単純にこの植木が旧石器人のアトリエかよww とウケるのはちょいと違うなって、そもそもこの木、旧石器時代からずっと生えてたんかーい! と、天才な私は気づいてしまったのだった。(天才って言わせてくれ言わせてくれ言わせてくれ)
こうしたもの↓も、ホモ・サピエンス新人類になりたての人たちが作ったのか~、と温かくみることができますね♪



当時は地殻変動も激しく、一番ビビるのが、約2万3000年前とも約2万5000年前とも約2万6000年前とも言われている、要するに正確にはよーわからない、って事だろう(笑) とっ、とにかく、鹿児島県の姶良カルデラは、そのころ、数か月以内ごとに大噴火を繰り返していた。そして、最後の超巨大噴火が起こった。なっ、なんと、南九州本土のほとんどの地が火焔流で厚く埋め尽くされ、最大厚さは約150メートルを記録。その火山灰は東北地方にも数センチの厚さの火山灰を降り積もらせたというから驚きだ。
翠鳥園遺跡~旧石器人のアトリエ~で発見された石器・国府型ナイフは、姶良カルデラ噴火の火山灰よりも上層部で発見されている。よって、姶良カルデラ噴火以降に作られた石器だということがわかる。
後期旧石器時代の人たちはサヌカイトを加工して作ったナイフ形石器をもち羽曳野丘陵周辺で生活していた。この周辺には同様の旧石器時代の遺跡が発見されているが、どれも羽曳野丘陵の東西の縁辺の段丘面に存在している。
私はしませんでしたが、翠鳥園遺跡~旧石器人のアトリエ~に来て、石器をつくる手 に手をのせてみるのもいいかもしれません。ハハハハ


このような↑説明版も用意されており、また、この↓風の谷のナウシカのオウムみたいなモニュメントの中にも入ることができる。


ガラスには府営住宅が映っていますね。モニュメント内にも、このように↑石器づくりの様子が絵入りで書かれていたりしている。そして、これ↓は謎過ぎるので撮った。絶対に普通の人間では手が届かない高い高い上層部の細い隙間に、ペットボトルが置いてあった。投げ入れるにしてもかなりのテクが必要で、果たしてできるかどうか。。。。

余程のもの好きの方や、旧石器時代の研究をされておられる方など以外は、わざわざ訪れる場所ではないと思いますが、私は古市駅から徒歩数分の場所に用事があり、予定より早く到着したので時間つぶしに寄ってみたのだ。。。。めっちゃ小さいし、想像力を働かせるまでは、ショッボ! とシケた感じが全身を覆っていたが、冷静に旧石器時代に思いをはせてみるとすげーな!って素直に思えた。あの、謎のペットボトルもな。
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