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1年間通話料無料キャンペーンが始まり即買いした楽天モバイル。小さくて手のひらサイズで薄っぺらいし邪魔にならなくて使い勝手が良い。ある仕事で電話発信が多いのでこりゃぁ通話料お得だわ♪っとその仕事の受発信専用端末。発信の詳細な通話明細の発行に約2か月かかるとの事で、ずっ~と待っていたのだが、ついに通話明細がちゃんと表示された。

楽天電話

Bluetoothで使える携帯電話用のヘッドセットを使えば両手も自由だしめっちゃ楽。


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端末代と事務手数料はかかったが、1年間どれだけ電話発信しても通話料無料で有難い。1年後からは基本料金がかかるがそれでも一月2,980円(税別)かかるだけ。

ところがですね~、私は事務手数料3,300円払ったのですが、今から申込すると、そして今後もずっ~と事務手数料無料なんですって。ちっきしょーーー! つまり私は楽天モバイルの養分になったわけだ('O'*) しかし楽天モバイル、良いサービスで助かるわ~。

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気に入った地


あくまでも私個人的な感想なのですが、あくまでもね。白川郷は何か商売っ気が感じられ金のにおいがする観光地(笑) 菅沼合掌造り集落は、どこか寂し気な痛々しい感じがする地。私は、ここ相倉合掌造り集落が一番気に入った。

っと思ったら秋篠宮皇嗣殿下も ”五箇山が世界で三カ所好きな地の一つ” だそうで相倉合掌造りに何度も来られているようだ。 ”暮らし映す 合掌造りの町並みを 見つつ歩めり 妹と吾子らと” という歌碑まで建っている。今となってはこの歌も物悲しいような痛いような何でこんな事になったのか。。。って輝かしい想い出の歌となってしまった。でも歌ってその時をその一瞬を歌うものですからね~。しかしほのぼのしてて良い所♪

相倉合掌造り集落

ご両親の忠言を受け入れ、傷心の姫って事で静かに健気に生きる様を演出した方が良いと思うが、一億数千万円なんてまぁうまくやればそれを元手に細々と働かず生きていくこと可能だけど知識や勉強は必須だし刻々変わるし、詐欺師も近づいてくるかなぁ。まぁお相手の借金精算は踏み倒せばいいとして(^^; しかし、お金って使い方によっては一瞬でなくなりますよね。

傷心の姫という事で儚げに健気に静かに暮らしていたらその内、周囲が慌てて裏で結婚に向けて動き出しますわなぁ。素敵で賢く思いやりも生活力も家柄も品性も何もかもパーフェクトで姫だけをこの上なく生涯大切にしてくれる白馬の王子様が現れ幸せな結婚できますよね~。でも人間って、危険な方に、危うい方についつい行きたがるって、そんな習性ありますよね?(笑) んんっ!?ないか?


まぁ私も含めてですが日本人ってすぐ忘れてちょっとバカなところありますよね。確かに敗戦後、自分を蔑みや軽蔑や侮蔑の目で見てくる人に対し、ドイツ人娼婦は、刺のある目でスゴイ形相で睨みつけながら語ったという。「私は生きる為に身体を売っているが心は売っていない。心はドイツ国民だ!」と。一方、日本人娼婦はどうだっただろうか? アメリカ兵と肩を組み満面の笑顔でウェーイ!っとジープにのり生を満喫(笑) うん、確かに日本人はすぐ忘れる(笑) 


安保闘争などでもかなり国がめちゃくちゃになったようだが、今はしっとり馴染んじていてアメリカの核の傘の下でぬくぬくし、アメリカ軍のいない日本は防衛すら自分で出来ず瞬く間に周辺国に乗っ取られるだろう。まぁ今でも周辺国からぬるぬるほぼ侵略済みって気もするが。。。アメリカは当然ながら自国の利益のためには動くだろうが無益ならば日本の為になんてわざわざ動かないだろうに(笑)


まっ、そんな感じだから例えホームレスみたいになろうと国民や親族がほうっておかないだろう、多分大丈夫♪ と思うのも当然だ。しかしあれだけ反対されているのに一歩も引かず踏ん張っているというのも通常の日本人の感性から何かかけ離れている気がするのだが、まぁ外国人と結婚しちゃいけないってわけでもないからその辺はどーでもいいんだろうが。


でもまぁ、日本人はすぐ忘れる。嫌なことをすぐ水に流す。なかったことにする。そして受け入れその中でそれなりに生きていく。つまり、まぁ、だからその内、御家の行事やらで Mちゃんや けーたん や けーたんママが他の皇族と共に並んで高台から国民に手を振ったとて、今だけを見精一杯生きる日本国民は国旗を降って笑顔でキャーキャー言うと思う(笑) まして生まれてきた子が女の子だったら表舞台に連れ歩いてアイドルみたいに逐一報道がされるかもしれませんしねw だから大丈夫っちゃぁ大丈夫なのでしょう。


現に、女性宮家撃沈となった今では皇女制度話が出ていますしね~。そもそも何かと行事に来られたりとかの皇室活動ってのを私は全く持って不要だ、と思ってるんですが、何かの時に来られてもねぇ。。。あれら必要かぁ? まぁ宮中祭祀は大切だと存じますが皇女制度なんてのはそもそも要らんしな。それで今後、このままいけば皇室は先細りですから女性天皇、女系天皇に繋げていくのかもしれませんねw

でもまぁそれで皇女制度の公務♪ って事でお金貰えウハウハで生きていけるっていう制度も考え出されセーフティーネットは着々と構築されていっているから、このまま突き進んでも全然大丈夫なんだろうね~。まぁそれが本当に日本国民の総意に基づいているかは別としてね。っと話がそれてしもうた。



集落にはお城の石垣を思わせるような石垣があって、疑問だったのだが、なるほどこの辺り加賀藩の流刑地だった事を思えば、石垣づくりの技術を持った人が流されてきて作ったのかもしれないなと妙に納得した。んっ!?っと目が魅かれる石垣の写真撮ってなくてすんません(^^; 

相倉合掌造り集落


お土産屋さんなどもあるが静かな感じ。まぁ時間とかの関係があるからかもしれないけれども白川郷のような人もいなくて静か。23棟の合掌造り家屋が建ち並び静かに日常生活が行われている。

相倉合掌造り集落


なんでも天狗の足跡が残っているらしいですよ~。

相倉合掌造り集落

フラッシュ無し、と

相倉合掌造り集落

フラッシュ有り、どっちが分かり易いかしら?? 本当か嘘か知りませんが、天狗さんがトンガリ岩から飛び立ち、左足でこの石を踏み込んで向かいの山に飛んで行った時に着いた足跡なんですって。

相倉合掌造り集落


この住居↓は、原始合掌造り『三郎』(旧岩本家)って看板が出てた。江戸時代後期の建築らしい。昭和初年まで岩本姓のお婆さんが一人で暮らしていたそう。屋根だけの合掌造りで、合掌造りの原型と言われている。このような家屋は ナンマンダブツ建て と呼ばれ、江戸時代の五箇山農家住居として各所に見られたが、現在では五箇山に残る原始合掌造りはこの『三郎』のみ、なんですって。

相倉合掌造り集落

しかし崩れかかっているようにも見えるし、見ていると何かトロロみたいな動物にも見えてくるし、入室は禁じられているがそもそもどこから入ればいいのかも分らんし、入っても崩れそうだし。。。こういう家に住んでいたんですね。しかも昭和初期に、狭くてワンルームなんかいな。


塩硝や養蚕、紙漉き、民謡なども紹介されているし、昔の民具なども展示されている。もちろん民宿もあって泊まる事もできる。

相倉合掌造り集落

相倉合掌造り集落が一番気に入った♪ 過酷な中を生き抜いていた先祖たちに合掌。

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寒暖がもろに


ここは富山県南砺市世界遺産菅沼合掌造り集落展望広場からの景色。見た瞬間あちゃぁ~って思いましたわ。こんな低地でしかも川の直近、3方向を庄川に囲まれ片面は鬱蒼とする山の急斜面。危険極まりない所、こんなところに住む人って。。。。っと思うと大体理解した。

が、被害者面して謝罪と賠償をー!とか変てこな事しないで、こうして 世界遺産として観光収入できりっと生きていく姿勢に感動した。なにしろここ五箇山に集落が出来た始まりというのが、倶利伽羅峠の戦いで逃げのびた平家の落ち武者たちだったとか。

時間が遅かったので正規の駐車場もしまり上から優雅に眺めるだけにした。まぁここから歩いていけば行けたのですがね(笑) 

12棟ある家屋の内、江戸末期から大正時代に建てられた9棟が合掌造り。鉄砲の火薬原料である塩硝作りを加賀藩の庇護の元行い、養蚕や冬には和紙作りも行われ、そのかたわら稲作と焼き畑農業で暮らしていた。

しかし、今でも大雨で川が増水した時など家ごとどっぷり水に浸かりそうに思えるのだが茅だし渇くから大丈夫なん?? 江戸時代の家がそのまま残っているというのも凄い。

菅沼合掌造り集落


今ではこうして立派な橋が見えますが、この辺やはり江戸時代の加賀藩の流刑地でしてね、橋を架けることが禁じられていた。もっとも加賀藩の五箇山の一大産業であった軍用塩硝作りの地にスパイなどが侵入しないように橋を禁止したとかも言われているが、それだったら白川郷でも塩硝作り行われていたがそんな変てこなことになってないしねぇ。地形からしていかにも流刑地。普通わざわざこのような所に住まないよね。

ここ五箇山は深山幽谷の秘境と呼ばれ断崖絶壁に隔離された陸の孤島で逃げることのできない流刑の最適地として、江戸時代には加賀藩の罪人のうち主に政治犯が送られてきた地だった。で、橋はないけれども13カ所の籠渡し場があった。ぶどうの蔓で作った大網を張り一人では往来できない籠の渡しがあるのみ。

ちなみにこの庄川には、遊郭の営業が認められていなかった金沢で出会茶屋で働いていた遊女らが捕まり輪島に配流される時、郷里が輪島に近いからという理由で遊女お小夜はただ一人、1690年ここ五箇山配流となった。ちなみに流刑には罪状により3種類あり、
1、集落内に限って出歩ける平小屋
2、一歩も外へ出られないお縮小屋
3、小屋の中に更に狭い織を造って閉じ込める禁固

お縮小屋と禁固は牢番が食事を柱の穴から差し入れるだけだった。

罪人として送られてきた遊女お小夜は1で、集落内を自由に出歩き村の若者と恋をしなんと妊娠してしまった。流刑の者と集落の人が子をなすなどはもちろんあってはならない事で、お小夜はこの庄川へ身を投げて息だえた。



さて、お次はちょっと行った先にある国の重要文化財に指定されている村上家住宅。天正年間に建設され約400年前の建築当時の様式を伝える五箇山地方の代表的建造物なんだと。

村上家住宅


加賀藩の軍事機密とした塩硝製造や和紙製造等の民族資料数千点を眺めながら囲炉裏を囲み薬草茶を頂きながら当主様のお話を聞かせてもらえるという。って16時30分までしか空いてないし、休みも結構多いんで行かれる時はちゃんと調べてから行った方がいいっすよ(笑) 予約をすればこきりこ踊りや麦屋節傘踊りの鑑賞も有料で出来ますしね。

村上家住宅


えっ!?私ですか? 17時だったんでw まっ、五箇山地方って合掌造りと民謡の故郷として有名なんですって。

村上家住宅


で、ふと道路向かいを見ると。。。。。何やら流刑小屋があるそうですわ。村上家住宅からほんの数分もかからん所。

ねー、この辺り流刑地だったんですよねぇ。江戸時代加賀藩は政治犯を、ここ越中五箇山の7集落(猪谷・小原・田向・大島・篭度・大崩島・祖山)に流刑人として送っていて、流刑小屋は1集落に3,4軒あった。五箇山へは1667年に最初の流刑が行われ明治維新までの間約200年間に約150人が流されてきた。

流刑小屋

この田向集落には加賀騒動の大槻伝蔵や安見与八郎らが流され1853年まで約24人が流刑された、と記録されている。大槻伝蔵は周囲の妬み嫉みで引きずりおろされ罠にはめられたように思うのだが、真如院の身柄が拘束されたのを知り自害した、とされている。全く、優秀過ぎるのも大変なことだ。


流刑小屋の隣にはこんなミニ滝みたいのが流れていた。流刑小屋から水の流れる音を聞くことが出来たのは風流で良いが。

流刑小屋


ミニ滝の隣にある細い階段を上ると。。。

流刑小屋


これが、江戸時代には加賀藩に8カ所あった流刑小屋の内の一つであり、全国で残されている唯一の流刑小屋。1963年の豪雪で倒壊したので1965年に復元されたものではあるが、富山県の有形民俗文化財に指定されている。

流刑小屋

暖房などもないし板切れ一枚で床もこのように石の上に乗せられていて実に寒そうな造り。小窓も開いたままですしね結局は処刑小屋であり冬に凍死していったそうだ。

中をのぞくと真っ暗なのだが光を当てると、武士がいた。ここで有り余るほどの本を読んだり手工芸をしたりして過ごせればいいのだが、実態は食事のみという。トイレは一応ついていたようだが、政治犯の罪人で幽閉されるというのは反体制派とか頭もよく教養もある人だろう。あとは大槻伝蔵のように奸計に陥ってしまった人とか。。。。?

観光者だろうか? 中に小銭が散らばっているのだが、こうするとご利益があるとでも思っているのだろうか?(笑)

流刑小屋

なんかすごいものを見てしまった気がする。胸が痛い。

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原風景っての?


日本三大秘境だとか世界遺産だとかで有名な白川郷。100棟余りの合掌造り集落で有名ですよね~。驚いたのがさすが世界遺産だけの事はあって立派な高速道路が整備されていて非常に便利。

あの吊橋を渡らないと白川郷に入れないんですねぇ。。。歩くと、キーキー音がして橋がぐらんぐらん揺れる。でも表面がコンクリート舗装されているからマジもんの穴の開いた木板とロープで出来た吊橋みたいな怖さはない。

白川郷


驚いたのが普通の観光地なんですね。合掌造りの昔の家を使いお土産屋さんや飲食店や宿泊施設を営んでいたり、田畑をしたりして普通に暮らしている。庭で遊んでいる子どもの姿も見えたし洗濯物も干されていたし、昔ってこんな感じだったんかぁって感じ。

白川郷


薪も沢山用意されているし。茅を1万束とか利用してあの茅葺屋根を作り、あの合掌造りの内部は釘とか使わず、材料は茅、木材、綱のみなんですってね。宮大工さんみたいですなぁ。雨漏りしないってのも凄い。

白川郷


江戸時代とかの家だが3階建てとか4階建てとかで大きい。というのも奈良時代からの大家族制度が世襲した地域で一家族40人から50人という大家族で養蚕業や農作業や煙硝生産などを行って住んでいた地域だったとの事。

白川郷


もう屋根から普通に苔や草が生えていて屋根がまるで地面のよう。高気密高断熱とかとは程遠いのか?っと一瞬思ったが、江戸時代に建てられ登録有形文化財の住居に住んでいる知人宅の中身は実はオール電化で快適なのでw もしかしたらこれらの住宅も居住区の中身はオール電化にリフォームしているかもしれない。

国指定重要文化財の白川郷の代表的茅葺き合掌造り住宅である和田家。1573年から庄屋、蕃所役人を務めた家。入場料300円だったが、パンフレットにはいかに素晴らしい気合の入った代表的な家か!という事が言葉の限りに書かれていたが、家の内覧をしまくっていた私としてはありふれた単なる内覧と何も変わらんかった。今もお住まいだそうで1階の一部と2階が公開されていて、使われていた道具や囲炉裏や食器やらが展示されていた。2階では養蚕を行っていたようで道具が展示されていた。

白川郷


おっーーー!! って感動したのがこれ↓ 茅だか何だかで編んだ蛇さんの置物。

白川郷


ここに住まなきゃいけないのなら、住宅密集地を避けて少しだけ離れたああいう所に住むな。

白川郷


謎いのはこれ↓ 何故、屋根に梯子が取り付けられている? 屋根の修繕の為?? のぼって星を見るため?? 梯子に辿り着くだけでも大変そう。

白川郷

狭い地区なのだが、舗装された山道を20分程歩いて登ると、南北朝時代に南朝の公家達が隠れ住んだ城だと言われる荻町城跡に着く。雪で銀箔になった白川郷の写真はここから撮っているんだなぁって場所。

室町時代、足利義満の馬廻衆だった内ヶ島上野介為は、足利義政の命令により白川郷に入り築城。後に白川郷に勢力を持っていた正蓮寺(照蓮寺)を攻め滅ぼした。白川郷を含む飛騨地方は鉱山地帯で、内ヶ島氏は2つ3つほどの金山を発見し銀閣寺建築の費用を献上したとも言われている。

室町幕府が衰退した戦国時代には領土を私物化し、鉱山経営で財を成し向牧戸城、萩町城、新淵城などの複数の支城を持ち、越後の龍である上杉謙信や飛騨の覇者である姉小路頼綱らが攻め込んできても撃退し百戦錬磨♪ 隠れた名将ですな。


内ヶ島氏は、重臣家老の山下大和守時慶の子、山下大和守氏勝を荻町城主としてここに入城させ、その後代々、山下氏が居城とした。先に見た和田家の一人娘おそのは、山下大和守氏勝に一目惚れし食事も喉を通らなくなり父親の申し出で氏勝の側室となったらしい。白川郷が一望でき、和田家も見えますな~。

白川郷

内ヶ島氏は小牧・長久手の戦いで、佐々成政の越中攻めに援軍として外征している間に秀吉側の金森長近に城や領民をとられ降伏。上杉謙信とかをぶったおして追い返しているのに呆気なさすぎで笑えるwスッスマン が、金銀や焔硝生産などの鉱山経営の技術を持つ内ヶ島氏は秀吉にそのままの領土経営を許された。そのお祝い祝宴を帰雲城で開く前日。。。


1585年11月29日の天正大地震で、帰雲山は崩壊し、帰雲城と城下町約300軒と領民、人馬、内ヶ島氏や家臣らを土石流がのみこみ全員行方不明となり滅亡。山崩れの土石流は庄川をもせき止め洪水も発生し対岸の白山山麓に叩き付けられ全て埋没。地形があまりにも変形し、白川郷にいた山下氏以外は生き残りもいず帰雲城の位置特定もできずにいるが、その中には鉱山経営で財を成した内ヶ島家の金銀財宝が埋まっているという伝説がある。


その後、主を失った氏勝は、豊臣秀吉の家臣となり小田原攻めでは先鋒を務め、その後は徳川家康に仕え近江・蒲生郡に所領をもらっている。1602年からは徳川義直の傳役となり、1607年には清洲越し(清洲城から城下町を移し名古屋城を築城する)を進言し、名古屋城築城や城下町整備などで功績をあげた。



実はここ山頂の展望台(荻町城跡)は何故か駐車場でもある。下から出会い橋を通って白川郷の民家を通って山を登ってここまでくる正規ルートでくると、実は下で駐車料金1000円とられている。が!国道360号の人家の絶えた自動車道から入ってくるとこの山頂まで車でこれ、しかも駐車料金無料だという事を知った時は、やられたーーー!っと思った。山頂の展望台(荻町城跡)、駐車場広いんですよ、しかもガッラガラで数台しか停まってないし。ちっきしょーーー!

展望台上のお土産屋さんでは、眼下に広がる白川郷をバックに無料で写真を撮ってくれる。小さい写真は無料でくれるんですよ~♪ 大きい写真は有料だが買う買わないは自由。悪いかなっと思って悩んでみたりするものだが、無料の小さい写真だけサッと貰い大きい写真には一瞥すらせず過ぎ去った男性がいて、その強さにビビった(笑) 彼女連れだったからこの一件が別れの原因になるかもしれない(笑)

私は、五平餅ってのを生まれて初めて食べてみた。う~ん、お腹の足しになるが。味噌味っすね~。

白川郷


こんなのを買った人も。飛騨牛のローストビーフ寿司だっけ? っと、イノシシちゃんのお肉の中華まん。なんでも味噌味が過ぎてイノシシちゃんのお肉の味がわからんかったらしい(^^;

白川郷


山登りをしたら山下りをする。お土産屋さんで気になっていた 紫蘇もなか 買った。

白川郷


お家の形で可愛い。味も紫蘇餡で絶品。

白川郷

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怖っ!どーよー


お久しぶりです(笑)

先日、コメントで ”森のくまさん” の歌が出てきて、ふと思い浮かんだ。この歌、実は怖い歌なんじゃね? っと。

熊が追いかけてきてイヤリングを拾ってくれたお礼に一緒に踊る。変ですよね、変ですよね! これは マッチ売りの少女 が死ぬ直前にマッチを擦り、その炎の中に美味しく温かい食べ物や暖かな服や部屋などの幻を見て幸せ気分に包まれ死んでいく、そんな童話と同じ状況が繰り広げられている歌なのだと、悟った(゚〇゚;)

つまり熊さんに襲われ爪で肉を切り裂かれ牙で肉体を食いちぎられギャーギャー踊るように転げまり翻弄されている状況を、あまりの酷さに脳から快楽物質が出て幻想を知覚し幸せ気分に浸っている歌。こっ、怖くない!? まぁ私の創作というか妄想というかなんですがw



いやいやいや、童謡には昔から怖い意味が含まれたりしているのは知られていることだ。有名どころをあげると、例えば ”はないちもんめ” これは、もんめ=銀の重量を表す単位、花=女の子 を表し、口減らしの為に女の子を品定めし売り飛ばした歌だとか。
買って嬉しい♪ (値段を)負けて悔しい  が真実だとか。お次は、


”とおりゃんせ” これは埼玉県川越城の城郭内に存した三芳野神社が歌発祥の地♪ って事になっていて、当時、神社には見張り役の門番がいて尋問を受けたり監視されたり気軽に行ける場所ではなかったという説が公式発表となっているようだ。が! 実は、人身供物の歌、親の子殺しの歌などとも言われている。



今でこそ、酷い! とか 虐待だー! とか言われ問題になっているが、昔は親が子どもの腕を折ろうが売り飛ばそうが殺そうが何しようが自由だった。

食糧難の中、口減らしのために子どもを里親に預けたり、丁稚奉公に出したり、身売りさせたり等はまだいい方で、子どもを殺害して食べたり(神隠しとして突然行方不明になった!として処理)などをするのが、昭和初期までの貧困田舎で行われていた。

日本は美しい、日本は良い国、日本人は素晴らしい、などの話しかしない人にとっては、捏造ということになるのだろうが。



お次は、定番 ”かごめかごめ” 妊婦が誰かに突き落とされ流産し犯人を捜している歌だとか、処刑場で罪人が処刑されるシーンを見た子どもが作った歌だとか、女郎屋から逃げ出した2人の遊女の歌だとか、徳川埋蔵金の歌だとか種々ありますが、誰にするか選べない故に口減らしのため後ろの正面になった子を殺したとか売り飛ばしたなどの話もある。私が気に入っている説は、

籠の中の鳥=モーセの時代の契約の箱、聖櫃 であり、なくなった契約の箱の中の神宝の行く末を語りつぐ歌説。

鶴(日神)が稲穂をくわえ舞い降りた伊雑宮と伊勢神宮内宮外宮を結ぶと籠神社(亀=六角形=ダビデ星)があり、真名井神社(=籠神社の奥宮)にもユダヤのシンボルであるダビデ星(六芒星)が刻まれている。紀元前8世紀にアッシリアがイスラエル王国に侵略してきた頃、ユダ王国で預言者として活躍していたイザヤがイスラエル王国とユダ王国の仲間と日本に逃げてきた、などの説。私はこれが好き♪



さて、童謡 ”シャボン玉” は、生後8日で亡くなった我が子の魂をシャボン玉になぞらえて歌った鎮魂歌であることは有名だ。怖い所では、童謡 ”てるてる坊主” は、祈祷師が雨乞いに失敗すると首を斬られた歌だとか。

てるてる坊主 3番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ


怖いですね。さて、春の訪れを感じさせる童謡 ”蝶々” ですがこれもドロドロしてますなぁ。無邪気に歌っていた幼稚園生だった自分が懐かしい(笑) 蝶=男 花=遊女 を表し遊郭通いの夫を持つ妻が子どもに父親の悪口を吹き込んだ歌だそう。

ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽いたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ



酷いっすねw さて、お次は童謡 ”あんたがたどこさ” これは、口減らしの為に親に売り飛ばされた各地の子どもたちが集まって互いの出身地を聞きあっている歌で、食糧難で子どもが食べられるのを漁師と狸で表現した歌だとか。


童謡 ”赤い靴” は、私生児として生まれ養女となり渡米するはずだった きみちゃんが、結核にかかり孤児院で亡くなった歌。実態をしらない実母は子どもは幸せにアメリカで暮らしていると思っていたとか。。。などの話もありますが、赤い靴=売り出される子どもの目印 であり、大人は知っていても止めることができず傍観せざるを得ずせめて童謡として外国人の怖さを歌にして伝えたという。



恐ろしいのが、童謡 ”指切りげんまん” 遊女が、お客に不変の愛を誓う証拠として自分の小指の第一関節から先を切断し贈っていたのが始まりの歌だとか。血判よりも酷い。また童謡 ”ロンドン橋” は、増水で壊れたロンドン橋を建て直すときになった人柱の歌。



では、最後は、日本の代表的童謡でもある ”さっちゃん” 無邪気に楽しく歌っていたこの ”さっちゃん” の歌は実は電車でひかれ死んでしまった少女の歌だというのは有名ですよね。ちなみに私はこの さっちゃん とアイアイ の歌は、人を小ばかにしているような気がして幼稚園生の時は既に嫌いな歌だった(笑) 遠足のバスの中で振り付きでアイアイを歌えと幼稚園の先生に命令された時は一人イラっとしたのを覚えているw まぁもっとも ”さっちゃん” の歌が実は怖い歌だというのを知ったのは純な私テヘッは大人になってからなのだが。。。


真冬の北海道で電車にひかれたさっちゃんは、ひきちぎられた断面が凍結したため即死とならず、血みどろの上半身でなくなった下半身を探していたらしい。。。

たまに北海道のその踏切を通ると足を探したさっちゃんが追いかけてきて足をとられたり、「3日以内に足を探して持ってこないと殺す」とか脅されたりするという話も。

3番までしか知らなかった歌詞だが、4番、5番は、


さっちゃんがね おべべを置いてった ほんとだよ
だけどちっちゃいから きっと貰いにこないだろ 悲しいな さっちゃん

サッちゃんはね 線路で足を なくしたよ
だから お前の 足を もらいに行くんだよ 今夜だよ サッちゃん


などなど、なんとネットが普及した今となってはさっちゃんの続編の歌詞がだんだん増えていっているという説も(笑)


っと、こんな感じなので ”森のくまさん” 実は怖い歌説を出したとて何ら問題はないだろう・:*:・゚☆ キラーン!! ( ̄∇+ ̄)vキラーン!キラキラキラ~☆ しかし、10数年前だったか ”となりのトトロ” の都市伝説を聞いた時は、純情な私は泣きそうになった。今も(⁄ฅ⁄⁄ฅ⁄⁄)♡

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